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雨の日は水槽の中

雨の夜、新宿駅周辺や渋谷のスクランブル交差点を上から見るとビニール傘の人がたくさん歩いててなんだかそれがクラゲの水槽みたいだな、なんて思ったりする。

みんな意思を持ってどこかに向かってるような、あてもなくふわふわフラフラとそこを漂ってるような。

東京の街は全然人と目が合わない。
私も多分合わせようとしてないけど。
東京で誰かと目が合うとトラブルになりやすい気がする。
キャッチに捕まったり、ナンパされたり、水商売や風俗のスカウトに絡まれたり、多分関わらん方がいいやろなってタイプの人がいたり。

道に迷って困ってる人とかは助けられたら助けられればいいと思ってるけど、大抵は時間の無駄、面倒ごとが付いてくる方が多い。

だから、1人の時はどこかに視点があってるような合ってないような目線で街をぼんやり見ながら、上手く人とぶつからないように歩いてく。

あの雨の夜に街を歩く瞬間の、この場を歩く自分は何者でもないという感覚と夜なのに明るい看板やお店の明かり、どこかでこの景色を誰かが見ているのかもしれないという想像と、それでもきっと誰も私のことを知らないというあの耐え難いような孤独感ともしかしたら何かができるかもしれないというよくわからない全能感の紙一重な危うい気持ち。

もしも同じような気持ちを抱く誰かがいたとして、そのとき何かに絶望していたら、あるいは魔がさしていたら犯罪者になってしまうのかもしれないと思う。

東京の街は面積は小さいけど人口密度が凄くて、でも人間の密度の割に人間関係が希薄だったりして。

田舎は良くも悪くも人と人とのネットワークが強い気がする。
だから変な話、どんなに孤独な人だとしても隣人の顔をほとんどの家は知ってるし。
それに比べると都会は隣の人の顔さえまともに知らないし、1人で暮らす人が老若男女沢山いる(勿論人間の数が多いのもあるけど)孤独を感じている人が多いのかもしれない。知らんけど。

だからもし1人がしんどいなーとか寂しいとか不安とかそういう時、しょうもないかもしれんけど、雨の日の人間は皆クラゲで何を考えてるわけでもなくただ漂っているだけなのだから今だけはその流れに身を任せていいのだと。その時だけは、私も名も無き誰かも水槽を漂うクラゲのようなものなのだと。

私はそんな東京に漂っている。


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がみちゃん
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