皆さんいかがお過ごしでしょうか?
今回紹介する本は、村上春樹著『女のいない男たち』(文春文庫)です。
2021年公開の映画「ドライブ・マイ・カー」は、本書『女のいない男たち』の村上春樹による同名の短編小説を基に、濱口竜介が共同執筆・監督したものです。
本映画は、第74回カンヌ映画祭で脚本賞受賞ほか全四冠に輝いています。
『女のいない男たち』(文春文庫)
本書『女のいない男たち』(文春文庫)には珍しく、「まえがき」があります。まえがきにおいて、本書は短編作品集ですが、雑多に集めたものではなく、1つのモチーフの下に集められたものであることが記されています。
ただ、上記の2作品と異なる点は、本書『女のいない男たち』にはファンタジー要素がありません。しゃべるカエルも猿も出てきません。村上春樹に苦手意識のある人の中には、「唐突に現れるファンタジー世界が受け付けられない」ということが1つにあると思いますが、本書にはファンタジー要素がないので、苦手な人も安心して読めるのではないかと思います。
以下では、印象的な文章やセリフを断片的に紹介したいと思います。
「ドライブ・マイ・カー」
舞台俳優の家福は亡き妻の記憶に苛まれ続けます。なぜ他の男と寝たりしたのかと。
「イエスタデイ」
大田区の田園調布で生まれ育つも完璧な関西弁を話す木樽と、兵庫県芦屋市で生まれ育ち上京して標準語を話す大学生の主人公という、対照的な設定が面白かったです。
この短編のタイトルが「イエスタデイ」になっているのは、木樽がビートルズの『イエスタデイ』に関西弁の歌詞をつけて歌っているからです。
「独立器官」
この話の主人公である渡会が抱える不安については、noteの記事に書いたので、興味のある方はぜひ読んでほしいです。
この短編は〈独立器官〉という発想が興味深いです。
「シェエラザード」
物語の冒頭は次のように始まります。
羽原はその女性をシェエラザードと名付けます。
また、女性を失うことがどういうことかを羽原が考えるシーンも興味深いです。
「木野」
ある時を境に木野が経営するバーに怪しい気配が包む話である。木野は17年間務めた会社を辞め、伯母が経営する喫茶店をバーに改装して引き継ぐ。木野がなぜ会社を辞めたのかというと、木野の最も親しかった同僚に妻を寝取られたからである。つまり、木野は妻と別れ、会社を辞め、一人でバーを始めたのである。
「女のいない男たち」
最後の短編である「女のいない男たち」はこの短編集の最後にふさわしい、かなり抽象的な短編になっている。
全てを読み終えて
私は村上春樹の文章をしばしば「水も滴るいい文章」と形容しますが、水のように流れるように滑らかな文章です。
最後の短編「女のいない男たち」の引用で紹介したように、ある日突然、女のいない男になるのです。その男性にとっては何の前触れもない突然の出来事ですが、相手の女性にとってそうではないのでしょう。女性が抱える感情の変遷に男性が気づかないため、男性はそれが晴天の霹靂のように思えるということです。そして、本書『女のいない男たち』を読めば、その原因のいくつかは去られた男性の中にあることがわかります。気づかなかったり、目を背けたり、深く考えなかったりするだけで。
すべてを読み終えて、一番印象に残っているは「イエスタデイ」です。その短編では、木樽がビートルズの『イエスタデイ』を関西弁で歌っていますが、ビートルズの『イエスタデイ』はまさに「女のいない男」の歌です。
最後に、ビートルズの『イエスタデイ』の歌詞とその和訳を付します。本書『女のいない男たち』を読了した後にこの歌詞を読むと、よりその内容を理解できたような気がします。
今回は以上です。