第11回

おさらい(大体の時系列)

ここまで色んなお話に触れてきたので、
一度それっぽい時系列に並べてみました。

太字が任天堂の出来事です。
間違えてたらすみませんね。


 『山内房治郎商店』創業(1889年)
ブラウン管 誕生(1897年)
   ・花札、紙トランプ 製造
 『丸福』設立
 三代目社長に 山内博 氏が就任
 『丸福』を『任天堂骨牌』に社名変更
   ・麻雀セット、ボードゲーム 製造
国内でテレビ局が放送開始
   ・プラスチック製トランプ『NAP』開発
   ・Disny等の版権で自社商品展開
半導体IC誕生
William Higinbotham「Tennis for Two」
早川電機「CS-10A」 ※現「SHARP」
Steve Russell「Spacewar!」
   ・タクシー、食品事業
 『任天堂骨牌』から『任天堂』に社名変更
東京オリンピック開催 『体育の日』制定
   ・入社 横井軍平 氏
   ・入社 岡田智 氏
   ・光線銃SP 開発
(SHARP)
   ・綿飴製造機「キャンデーマシン」開発
intel「4004」(ビジコン・嶋正利 氏)
NECが国内向けにDRAM開発
   ・簡易複写機「コピラス」開発
ATARI「PONG」
CASIO「カシオミニ」
   ・入社 竹田玄洋 氏(SANYOから転職)
   ・入社 上村雅之 氏
(SHARPから転職)
   ・世界初の家庭用機『Odyssey』用の銃製造
   ・『任天堂レジャーシステム』創業
     > 業務用ワイルドガンマン
     > レーザークレー射撃場
原油価格70%引き上げによるオイルショック
     > EVRレース
(MITSUBISHI)
General Instrument『AY-3-8500』
ATARI『BREAK OUT』
   ・入社 宮本茂 氏
   ・カラーテレビゲーム 開発
(MITSUBISHI)
ATARI『VCS』
HITACHI『BASIC MASTER』
NEC『PC-6001』
TOSHIBA『VISICOM』
TAITO『スペースインベーダー』
NEC『PC-8001』
   ・『GAME&WATCH』開発(SHARP)
namco『パックマン』
   ・『ドンキーコング』開発
     > 日米でヒット
     > コレコ社の家庭用試作機で動作確認
     > コレコ社とライセンス契約

Fujitsu『FM8』
SHARP『X1』
TOMY『ぴゅう太』
     > GAME&WATCHに移植
ColecoColecoVision』(ドンキーコング同梱)



色んな出来事を端折ったりゲームに繋がらない商品は紹介していないものも有りますが、ざっくりとした任天堂とその周辺の歩みです。こんな風に人の縁やテクノロジーが任天堂に集結していった訳ですね。

次回から、いよいよファミコンの開発に触れてみたいと思います。


ここまでの歴史を見て

やはり任天堂の社として大きな転換期を迎えたのは、世界的に半導体が発展していく中、横井氏の入社によりエレクトロニクス玩具と向き合うようになった所から大きな歯車が回り始めたのではないかなと思います。勤務中に遊び心で作っていた物を才能と見込んで商品化させた山内氏に始まり、その出来事が無ければ上村氏と出会う事もなく、ゲーム&ウオッチではSHARPの伝手も無くなり、ファミコンが作られる世界線が無くなり、宮本氏も入社してこなかったかもしれません。それだけの人物であり、ゲーム史における偉大な功労者の一人です。

横井氏は後に『GAME BOY Pocket』を置き土産に任天堂を退社し、株式会社コトを起業。早速『WonderSwan』の構想を練っていたところでしたが、不慮の事故により帰らぬ人となってしまいました(後に社員と有志で完成させてBANDAIから発売)。以降、一般技術で新しい楽しさを打ち出す彼の理念「枯れた技術の水平思考」を引き継ぎ、最新でなくとも子供にも求めやすいモノ作りで人々に商品を提案する企業として現在も経営が続いています。

GAME BOY Pocket(1996年)
消費電池が4本から2本になり、
きめ細かで見やすい液晶になった。


BANDAI「WonderSwan」(1999年)
氏の名を冠した遺作、GUNPEYも忘れ難い。
電池1本で30時間遊べる。


彼が去った任天堂のその後から現代までにおいてもその考えは根付いており、例えばゲームソフトにおいて子供にも親しみやすい世界観だったり、『Wii』や『Switch』にしても本体性能で他のゲームハードとの競合から一線引いたアプローチでハード展開を続けています。


それではボチボチ長くなってまいりましたので、また次回に。

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