ゲームの思い出:バーチャロンシリーズ その5 電脳戦機バーチャロンフォース part3
VOX-Mariko。
脚部をホバーに変え、ガトリングガンを携えたVOXのバリエーション機体である。
その特徴は足の速い地上ダッシュとダッシュ旋回、早いジャンプをうまくつかぅて逃げまくり多段ミサイルとナパームをばらまいて戦う機体だった。
ガトリングは小気味よく弾が連射できる武器できちんと当てれば驚異的なダメージを与えられる武器だった。
……きちんと当てることが出来れば。
ガトリングガンはほとんど誘導しないという特性があった。つまり狙った敵が大きく移動してしまえばほとんど当たらなくなる。
僕には敵の移動を読んで置いておく、旋回しながらばらまいて敵をけん制する、くらいにしか使えなく、ほとんど宝の持ち腐れになってしまう武器だった。僕がよくいくゲームセンターでMarikoを使っているのが僕だっただけなのもあり、使っていると周りによく見られるのが凄いプレッシャーだった。
Marikoは非常に敵の攻撃を回避しやすい機体ではあった。
タイマンにおいて攻撃が当たるのは操作をミスった方、と言われるほどフォースの攻撃は当たらなかった。
当時の僕たちは一発当てるのをサッカーのゴールに例えていたほどである。
冗談ではなく一発の被弾で勝敗が決することが多かった。
そんなゲームバランスだったので、同じくらいの腕前の敵機二機に狙われている状態である程度の回避ができなければ話にもならない。
僕は回避が苦手だった。ライデンやDanで敵機二機に狙われてしまった場合途端に敗色濃厚になってしまっていた。
しかし、Marikoに乗り換えてから回避が少し得意になった。勝率が上がった。それは10回に1回勝てていたのが10回に2回程度に上がったような些細なものだったけれど。
プレイを重ねていくにつれて、Marikoは敵の当たり判定、移動速度などを完全に理解して、ダッシュ中の敵にガトリングガンをうまく当てることが勝つための秘訣だと理解した。
しかしこれがうまく出来ない。
相手の攻撃はある程度回避できる。しかし攻撃を当てることが出来なければ勝ちに繋がらない。
僕が出した解決法は練習あるのみ、という非常にシンプルな、解決法とはとても呼べないものだった。
この頃、一緒に住んでいた親父が蒸発し、強制的に一人暮らしになった。
親父の友達だった便利屋の人に助けられて、僕は便利屋と引っ越しのアルバイトで生計を立てていた。
正直に言うとこの頃稼いでいた額は今現在の月収より多い。
中でも犬の散歩のアルバイトが最高だった。僕は犬や猫が大好きである。
そんな犬たち数匹と一時間散歩して戯れるだけで毎日5000円だ7000円だ貰えるのである。
こんなのに毎日金が払える金持ちってすげえな、なんて思いつつもこのアルバイトにはだいぶお世話になった。
そんなわけなので家賃学費生活費などもろもろを差し引いても月に10万以上余裕があるという状態だった。
バイトが終わった後一人でゲームセンターに練習に行く。そこには強い人たちが沢山いた。僕は下手だったが果敢に挑んだ。
この頃のゲームセンターは排他的な人間が多かったように思う。
まあ、今でも界隈によっては割とそういう人が多いのだけど。
彼らが毎日のように閉店間際まで乱入してくる弱い僕に苛立っているのはよくわかった。
もしあの時僕にある程度の腕があればここにいた人に話しかけて友達になるなんてこともできたかもしれない。
しかし話しかけるには明らかに自分の腕が足りなかった。それくらい下手だった。
僕はこのゲームに何百万円もつぎ込んでいると前に言ったが、最終的に僕はVOXシリーズのトップレア機体tetsuo以外すべての機体ライセンスを所持していた。これには膨大なお金と時間がかかる。
しかし最高階級は大尉どまりである。
これはうまい人であれば数週間もかからずに達成できる階級だ。
一人でした練習の結果はMarikoの封印という悲しい結果になった。かなり頑張ったのだが僕にはガトリングを使いこなすことが出来なかった。
数十万円フォースをプレイした結果、僕に一番合っているのはライデン512E2、ライデンシリーズの初期機体だとわかった。
ここから僕はライデンシリーズばかり使うようになっていく。
ライデンには相手の行動を読んでレーザーを置いておく置きレーザーという基本テクニックがある。
以前に比べ僕の置きレーザーはよく当たるようになっていた。
回避も以前に比べ格段に上達していた。
Marikoを練習した成果が活かされていた。
ガトリングを当てようと必死に頑張ったのは無駄じゃなかったんだとひそかに嬉しがっていたものだ。
ライデンを使い始めて勝率は少し上がった。それは勝率が数%あがったくらいなものだったけど。
僕は高校を卒業して就職してもフォースをずっとプレイしていた。
たまに遊ぶ後輩たちはもうバーチャロンをやらなくなっていた。
少し寂しかったが、それも仕方のないことだと思っていた。
元々家がものすごく離れている部長とはもうほとんど会うことはなく、お互いに仕事のこともありたまに電話のやり取りをしていただけで高校卒業後結局一度も会わずに今に至る。
仕事が終わるとゲームセンターに直行し、フォースを遊ぶ。
ゲームセンターから帰ると家に着いて即PS2を起動する。
バーチャロンマーズをプレイしながらコンビニで買ってきた夕飯を食べる。
この頃の僕は本当にバーチャロン漬けの毎日だった。
続く
電脳戦機バーチャロン フォース
ハード:アーケード
2001年10月稼働。
販売:SEGA
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