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2019年2月22日~3月2日から、その後のこと

2月22日

点滴がようやく完全に終わった。
このまま熱が出ずに過ごせたら退院が見えてくる!

2月23日

体調が落ち着いてきたところで、体重が急減していることに気づいた。
点滴が終わって、体内水分が減ったからかな。

2月24日

浮腫みが少し取れてきたせいもあるが、60 kg 越えだった体重が数日で56 kg に落ちた。少し体調が悪い。

2月25日

体調悪し。
胃の調子がかなり変。

久しぶりに下痢もして、リハビリもちょっときつい。

さらにやたらと眠いのが何かのサインなのか。

無理はしないようにしよう。

赤血球 292 /μl    (標準値:380~480/μl)
ヘモグロビン 9.6 g/dl (標準値:12~16g/dl)
血小板 5.9 万/μl   (標準値:10~49万/μl)
白血球 2340 /μl    (標準値:4000~8500/μl)

2月26日

急に部屋の移動が決まった。

セミクリーンが混んできたらしく、白血球の数値的にセミクリーンエリアを出て外の個室へ移動しても大丈夫だろうということになり、化学療法を待っている患者さんのために引っ越しになった。

午後自主トレリハビリをしていたら、同時期に入院していた若い患者さんが無菌室から出てくるのが見えた。

どうやら彼が無菌室に入るようで、見学と前準備があったようだ。移植が無事に進んでくれると嬉しい。

2月27日

心エコーの検査。異常なし。

午前中ウォーキングのリハビリをして、午後からリハビリセンターまで行き、バイクをこいで、階段昇降もやった。

その後けが予防のための各種ストレッチ。

担当の理学療法士の先生と、退院後のリハビリについて打ち合わせをした。

何事も無ければ数日で退院になりそうと言われたこともあり、気分も上がってきた。

赤血球 291 /μl    (標準値:380~480/μl)
ヘモグロビン 9.3 g/dl (標準値:12~16g/dl)
血小板 6.4 万/μl   (標準値:10~49万/μl)
白血球 2370 /μl    (標準値:4000~8500/μl)

2月28日

何事もなければ、あと1日で退院と言われた。

ようやくここまでたどり着いた。

でもこれからもしっかり体を見ながら、無理をしないようにしなければ。

3月1日

2018年6月に入院してから8ヶ月。

長かった入院生活も今日で終わる。

夕方からは自宅に帰れる。ついに退院だ。

乗り切った。。。

退院のために病室の片づけをして、妻とそろってナースステーションに挨拶に行った。

ずっと支えてくれた皆さんの笑顔を見ていたら、こみあげてくるものがあった。

看護師さんたちからねぎらいの言葉をもらい、担当の看護師さん、手の空いている看護師さんが数名エレベーターまで見送りに来てくれた。

私が取り組んでうまく行ったセルフケアやリハビリは、良い事例としてほかの患者さんに伝えていくとのこと。

いずれ、患者さんの話し相手として、経験者のアドバイザーみたいにしてきてほしいということも言われていたけれど、まずは自分がしっかり完解を維持して、体力を戻さないとと改めて心に誓い、妻が病院の正面玄関に止めてくれた車に向かった。


妻が運転する車内、助手席の窓から3か月ぶりの街並みを見た。

移植して初めての外の空気なので、生まれ変わってから初めてということになるのか。

季節が一つめぐって、春の気配を感じる空を眺めていたら、勝手に涙が流れた。

これで終わりでなく、これからは再発の怖さとGVHDとの戦いが始まる。

でも、とりあえずは自宅に帰れること、家族と過ごせることを、しばらくは素直に喜び、噛みしめたい。


3月2日から、その後のこと

本退院のあと、しばらく週一で外来での治療が続きました。

GVHDの症状が多岐にわたって出てしまい、今現在も苦労をしています。

最初は皮膚の発疹が酷くなり、投薬調整をして様子を見ました。

2週間ほどで皮膚が落ち着いてきた後、サイトメガロウイルス感染症が再発し、バリキサという薬を4月18日まで服用しました。

副作用で血球減少があり、せっかく回復した血球が減少して、肉体的にもしんどかったですが、それよりも、すぐに壁にぶち当たったことによる精神的なダメージが大きかったです。

感染症治療で血球が落ちたところで、子供が溶連菌感染症になってしまい、自宅で隔離病棟的な部屋を作ったり、長く続く闘病生活を支えてくれている妻の疲労がピークに達して、今度は妻が2週間ほど体調を崩してしまったりと、周囲にもダメージが出てきました。

味覚障害がなかなか良くならず、5月の後半まで美味しく食べるという感じはありませんでした。

5月後半、胃腸の調子が悪くなり、飲んだり食べたりするとすぐに下痢をするようになりました。

5月31日に、肝機能障害が見つかり、GVHDがかなり悪化していることが分かり、再入院。消化器官にも異常があるため、その日の夜に腸の内視鏡検査を行いました。

この病気になって初めての大部屋入院で、比較的軽度の病気らしい同部屋の患者さん達とは話が合わず、なじめないままストレスを抱えながら過ごしました。

2週間ほどで下痢も治まり、食事もできるようになったので、すぐに退院できると思っていましたが、入院は思ったより長引きました。

内臓の検査数値が改善されたら退院する予定でしたが、免疫抑制剤が服薬だと効きにくい体質ということが判明し、適正量にするため一度点滴投与に切り替え、体調が安定した所で服薬を再開しました。

服薬での適正量を探るため、毎日血液検査で抑制剤の血中濃度を確認する日々が続き、結局原因はつかめませんでしたが、先生方が立てた仮説に基づいてプログラフからグラセプターへ薬剤変更をして経過観察をすることになり、6月24日に退院しました。

2019年はその後、年末まで腸の状態が安定せず、一時期体重は40㎏台まで落ちてしまい、貧血状態も続いていたので、誰の目にも病人感が凄い状態で過ごしました。

一度GVHDが劇症化したこともあって、免疫抑制剤の減量は慎重にならざるを得ず、生活の質の向上はあまり見込めず、制限だらけの生活が長引くことが分かり精神的にかなり落ち込みました。

変化が出てきたのでは、移植後1年経った後くらい。正確には生着した頃から1年くらいでしょうか。

劇的に体調が良くなってきて、苦しめられた味覚障害や、お腹をすぐ下すということがなくなってきました。

2020年は1月末頃から、新型コロナウイルスのニュースが出るようになり、感染症への恐怖感に対する、周囲との温度差もあって、体調の改善に合わせて行動範囲を広げることが難しくなってきました。

3月頃からは定期検査で通院することがとても怖くなってきました。
どこで誰がウイルスを持っているかわからず、主治医の先生も情報が足りず対処法がないため、とにかく人となるべく会わないようにという指示が出ました。

志村けんさんがお亡くなりになったニュースが出た翌日に検査診察があり、その時はさすがに主治医の先生もショックを隠さず、本当に危険な感染症だから、入院時と同じレベルで感染対策をするようにと注意されました。

夏ころに一度感染拡大が落ち着いてきて、そのタイミングで行動範囲を少しずつ広げていきましたが、冬が近づくにつれて状況がまた悪化してきました。

世の中の感染再拡大に合わせるように、私の体調にも変化があり、腎機能の悪化が見られるようになりました。

今はそれがGVHD由来の腎不全や、ネフローゼ症候群につながるかどうかを経過観察している状況です。


リハビリを怠らなかったので、体力はだいぶついてきたし、体重も戻りましたので、見た目にはかなり元気な人に見えると思います。

ですが、食事制限も解除されず、生活の質の改善はあまりない状況で、社会復帰、競技復帰出来た人たちがとてもうらやましく、悔しい思いを抱えています。


しばらく心の状態が良くなかったのですが、友人がちょっとした刺激をくれ、その刺激を元に、できる範囲で動き始めてみたら、思っていなかったところから反応がきたりして、ちょっとずつ良い方向に向かい始めました。

自宅でできる範囲で、制限はある中ですが、それでも昔からやりたかったことの一つが形にできることは、再発の怖さ、死の恐怖がすぐそばにある私にとって、極々小さくても、とても大切な支えになっています。


入院闘病の記録はここで一旦終わりにしますが、病気との闘いは続いています。

これからは、病気のことも書きますが、仕事のことや、やってみたことを気の向くままに書いていこうと思います。

出来る限り更新は続けたいと思っておりますので、引き続きお付き合いいただければ幸いです。

今後も、わたくしがめちゃんをよろしくおねがいします。



一旦終わって、日常は続く

お読みいただきありがとうございます。サポートもスキをぽちっとしていただくだけでも、どちらも療養生活での励みになります。よろしくお願いします!