誰かを助けたいと思った時
身近に大きな問題にぶつかって苦しんでいる人がいるとき、親しければ親しいほど、なんとか助けてあげたいと思いますよね。
これが、本当に難しい。
ちょっとたとえ話をしましょうか。
例えば、友達の○子が付き合う相手は、いつも浮気者だったり、DV気質だったり、お金にだらしなかったりします。
付き合い始める頃は、「今度こそ大丈夫!」と○子自身も希望に満ちあふれているのですが、毎回同じような男性と、同じようなパターンで別れることを繰り返してきました。
そのパターンとは、○子がボロボロになってくるとあなたが気づき、相談に乗ってあげるのです。そうすると○子は目が覚めたような状態になり、「わかった、あの人とは別れる」と、決意します。
あなたは、○子の相手が浮気者だった場合には、浮気の証拠を掴む知恵を授け、DV野郎の時には、上手に逃げて見つからないようにする知恵を授け、借金野郎だった場合には、貸したお金を取り返すにはどうしたらいいのか、法的知識を授けます。
あなたのアドバイス通りにした○子は、無事に相手と別れ、平穏を手に入れました。
そして数カ月後。
○子はまた新しい相手を、満面の笑顔であなたに紹介してくるのです。
「今度こそ大丈夫!」
そのまぶしい笑顔に、あなたはなぜか、太陽が陰ったような感覚を覚えるのでした。
こういうとき、あなたはどう思います?
色んな事を感じますよね。
全部当たってると思いますよ。
すべて、○子次第なんですよね。
今回また助けたら、今回で最後になるかもしれない。
でも、そうじゃないかもしれない。
いつ、○子は気付いてくれるのか。
それは、私たちには、わからないんですよ。
「わからない」
これが最大のポイントかもしれません。
○子の真実は、私たちには結局わからないのです。
あなたにとっては、だめ男と付き合わずに普通に結婚して幸せになって欲しいと思うかもしれませんが、それが○子にとっての本当の意味での幸せではないかもしれない。
何が○子にとって一番いいのか考えると、わからなくなりませんか?
ただの過ちだなんて事は、そうそうありません。
「間違えた」「失敗」と本人が思う事柄は必ず、大きなヒントとなる出来事です。
間違えたり、失敗したりする方が、ただ成功するよりずっと考えさせられるからです。
そこには必ず何かがあります。
今はわからなくても、もっと大きな流れの中で見れば、「ここにはこんな意味があったんだな」とわかるかもしれません。
でも、「間違い」とか「失敗」なのかどうかがわかるのは、あなたではなく、○子なんです。
もし、○子がだめ男との関係を繰り返す事で、彼女にとって重要な何かを学んでいるのだとしたら、それを無理やりやめさせる事が、彼女の為になるって、言えますかね?
本当の意味で、何が○子にとって一番いいのか? と考えれば考えるほど、身動きできなくなりませんか?
何言ってんだって思います?
私ももっとうまく説明したいんですけどね。
価値観のあれこれによるあーだこーだは、今回ではなくまたいつか別の回にしましょう。
こういう説明ならどうでしょうか。
○子は、何度も繰り返し続けます。
親兄弟、友達からも距離を置かれても彼女は自分で選んだ人と付き合い続けました。
そして、結婚もせず子供も生まず、45歳を過ぎた時に、とうとう大きな借金を背負わされ、○子は絶望のどん底に突き落とされます。
若さもなく、助言をくれる友達もなく、ひとりです。
そうなって初めて、自分がやってきたことを振り返ることにしました。
過去の人生をブログに綴り始めたところ、そのブログが世間の目に止まり、書籍化され、ベストセラーになり、借金は消えました。
○子は作家としての才能に目覚めます。文章を綴ることがライフワークになり、お金を生み、生活に困窮する事はありませんでした。
最期の時には、一番最後に付き合った彼氏に見守られながら、笑顔で死にました。
こういう未来が待ってるってわかってたならどうですか?
「うーん」
ってなりません?
何が正解で、何が間違いかなんて事は、その時だけの状況では、わからないんです。
間違いだと思った事が正解で、正解だと思ってた事が違ったりするのが人生じゃないですか?
なんにしても、本人次第なんですね。
じゃあ何にもしない方がいいの? って話になります?
そういうことでもないんですよ。
だって、助けたいんでしょう?
ここまで散々、本人次第だって、言ってきましたよね。
○子の事だけじゃないんですよ。
あなたもそうなんです。
「何をしてあげたらいいんだろう」
って思ってませんか?
じゃあ訊きますね。
「あなたは、何をしたいんですか?」
「○子が作家になるなんて可能性低い。やっぱり普通にいい人と結婚して毎日楽しく暮らして欲しい」
ですか?
「泣いてる○子を見てるのが辛い。もう涙は見たくない。だからだめな男と付き合うのはやめて欲しい」
ですか?
でもそれって、あなたがどうしたいかじゃなくて、逆に、
「○子にこうしてほしい」
っていう、お願いですよね。
いいんですよ。
「お願いをしたい」んです。
じゃ、また訊きますね。
「あなたが○子にお願いするのは、本当に○子の為ですか? もしかして、自分の為じゃないですか?」
えーーーーーん
って泣きたくなりません?
ぐうのねもでない。
まあぶっちゃけそうなんですよ。
見てられないから。
見てるのが苦しいから、見ていても苦しくない姿でいて欲しいわけです。
でもそんなの、人間だったら当たり前なんですよ。
「○子が苦しむ姿を見なくてすむなら、なんだってする!!」
って言うなら、もう、あなたも好きにすればいいんです。
自分の心によく訊いてみてください。
何がしたい?
「だめな男と付き合い続けるな!」
って叱りたい?
なら叱ってください。それがあなたにとって必要なことなのかもしれない。
あなたと、○子の、二人にとって必要なことなのかもしれないから。
「相手の男をこらしめてやりたい!」
本心からそう思う? 心の中からわき上がってくる?
ならそうしてください。それがあなたにとって必要なことなのかもしれない。
あなたと、○子と、相手の男の三人にとって、必要なことなのかもしれないから。
「もう見てられないから○子とは距離を置く」
それでもいいんですよ。
それがあなたにとって必要なのかも。
結果として、あなたと○子にとっても、必要なことなのかもしれないから。
大切なのは、あなた自身も、常に自分自身に問いかけ続けることです。
「自分はどうすればいい? どうしたい?」
○子は、○子の心の有り様に沿って生きていくんです。
あなたも、そうするしかない。
その結果、後悔する事があったとしても、それはその時のあなたのベストだったんでしょう。
なら、後で必ずその意味が分かる時が来ます。
糧になる時が来る。
助けたい、という気持ちは、すごくわかります。
私も、困っている誰かの手助けになれば、と思って書いています。
どうすればいい?
どうしたい?
私も、いつも自分に問いかけています。
今の私に、何ができる?
そのこたえの一つが、このnoteです。