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逆説的ですけど


 前々回、「胡散臭いと感じる気持ちが大事」で、「違うな」と思ったらやらなければいいって話しましたね。


 今回は、「嫌だ」と思っていても触ってみなきゃいけない場合について、話をしたいと思います。


 共感性羞恥ってありますよね、ご存知ですか?
 私もそうなんです。誰かが騙されたりするのが見てられないんです。だから、昔からドッキリの何が面白いのかわかりませんでした。

 この、共感性羞恥を持ってる方なら、なんとなく感覚でわかってもらえると思うんですけど、「心が拒否する」場所があるの、わかりますか?

 共感性羞恥がわからない人にはどう説明したらいいのか。

 図星を突かれると逆ギレする人とかいますよね。
 あれもたぶん、その図星部分が、その人にとっての「心が拒否する」場所なんじゃないでしょうか。

 本当の事を言われると怒るのは、本人がその「本当の事」から目を背けてるからですもんね。
 見ることを「拒否」してるんです。


 そう、目を背けてしまう場所です。


 あなたにもありませんか?

 私にもあります。


 でも、そこにヒントがあるんです。



 別に、共感性羞恥のある人に無理やりドッキリを見ろ!とか言うんじゃないですよ(笑)。

 どんなに見たくなくても、あらゆるサインが、何度も何度も、目をそらしてはいけない、現実を見ろ、と突きつけてくるなら、見ないといけないんです。
 見て、向き合わないといけない。



 何度も、同じ事で失敗したりしませんか?

 細かな設定は違っても、同じようなシチュエーションで、同じように追いつめられませんか?

 そして、その場ではやり過ごせたとか、切り抜けられたと思っても、しばらくすると前回よりパワーアップして目の前に立ちふさがったりしませんか??


 心当たり、ありませんか?


 職場での人間関係がうまくいかなくて、何度も転職を繰り返す。
 異性との関係が長続きしない。
 異性と別れるときはいつも同じパターン。
 親がやらかしたのを見て育ってきたのに、自分も親と同じ事をしてしまう。

 
 あなた自身に心当たりがなくても、あなたの周りにそんな人達はいませんか??

 彼らを見て、どう思いますか?
 自分を見てわからなくても、他人を見ればわかるんじゃないでしょうか。


 答えは、だいたいこれです。

 目を背けて、向き合わないからです。
 現実から目を背けて、受け入れないから。

 だいたい、誰の言うことも聞きませんよね(笑)。

 そりゃそうです。
 本当の自分や、ガイドからの声もサインも、全拒否してる状態なんですから。


 他人のことはよくわかっても、自分のことは、わからない。


 ガイドはね、摩訶不思議な事なんてほとんど言いませんよ。
 彼らがいつも私たちに与えてくれるのは、いかにして「現実と向き合うか」です。
 どう生きるか。

 
 今ある自分をきちんと把握して、見て、受け入れること。
 問題があるなら、それから目を背けない事。
 まずはここからです。

 そうすれば、その問題の本質がわかります。

 本質がわかったら、解決策がわかるようになります。


 目を背けている人に、いくら問題の解決策を提示しても、見えませんよね?
 だから、まずは閉じてる目を開くことから始めなければなりません。

 目を開くように、目を背けないように、とサインを送ってきます。
 無視し続けると、問題はどんどん大きくなります。
 逃げ場がある限りは逃げようとするからです。
 だから、その人にって重要な事柄であればあるほど、逃げられないようにと、大きくなって迫ってくるように思えます。

 ここで目を開けば、問題の本質が見えます。

 問題の本質がわかったら、やっとそこから先に進むためのヒントやサインが送られてくるようになります。
 というか、そのヒントやサインに気付けるようになります。

 たいていの人は、事ここに至って初めて、
「なんだ、最初から解決策はすぐそばにあったのか」
 と気付く事でしょう。

 そうなんですよ。
 すべては用意されているのに、目を背けていては見えないんです。

 端から見ていたら一目瞭然ってこと、よくありませんか?


 子供時代の自分なんか、特にそうじゃないですか?

 大人に何を言われても、その時はわからなかったこと、見えなかったことが、今ならわかるってこと、たくさんありませんか?


 乳幼児のおもちゃって、対象年齢が細かく設定されてるんですよ。
 生後6ヶ月から~とか、2歳から~とか。
 これ、かなり正確なんですよね。
 生後6ヶ月から~と書いてあるおもちゃを、生後3ヶ月の子供に見せても、見向きもしません。
 2歳から~のおもちゃを1歳の子供に与えても、ただなめたり投げたりするだけですけど、2歳になった途端、興味を示したり、ちゃんと遊べたりするんですよ。

 適切な時期、っていうのがあるんです。


 私たち大人でも、それぞれの成長段階があり、それぞれの適切な時期っていうものがあります。

 それは、人の優劣を決めるようなものではありません。
 はやく気付いたから勝ちとか、遅く気付いたから負けとか、そういうことは一切ない。

 あなたにとってのタイミングがその時だった、というだけのことなんです。

 だから、「今更」とか、「今までこれでやってきたのに」とか、そういう思いこみは、いらない。



 みなさん、私がこんなことを言うのは、「ガイド」が手取り足取り教えてくれたからでしょ、と思うかもしれませんね。

 でもね、逆なんです。

 自分の人生を通じて、色んな事を経験し、学び、再確認し…とやってきて、私なりの理論を構築し、大ざっぱにですが「真理」に触れて、改めて自分と向き合った結果、初めてガイドと接触できるようになったんですよ。

 自分とガイドとであらかじめ設定していた、ある一定の段階に達したんでしょう。
 ゲームちゃんが、ここまで自力でこれたら、次の段階はここから始めよう、みたいな?
 答え合わせから始まりましたよ(笑)。

 もちろん、手厚く保護を受けていたのは疑いようのない事実です。
 私はものすごく愛され、守られ、厳しく教育されてきた。
 サインや知らせにきちんと気付けるようにってね。

 けど、誰だって愛されてるし、誰だって守られてるんです。

 その人なりの道があって、私の道がこうだっただけ。


 ガイドは、教師のようなものです。
 教え、導いてくれるけど、その教えを「理解」したり「吸収」したりするのは、私たち生徒の側です。

 自分で歩いていかないと、進めないんです。

 

 私が書いた文章を読んでくれる人は、自分自身が問題を抱えてる、というより、身近に問題を抱えている人がいて、その人を助けたい、と思っている人の方が多いかもしれませんね。

 どうすれば手助けできるのか、私もずっと考えてきました。
 一緒に考えましょう。

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