アート×仏教思想の新たな視点から捉える“コンヴィヴィアリティのための道具”
毎日本を読む割に、アウトプットが仕事かクローズドなノートにしかしてこなかったので、特に3-4回読まないと人に説明できない程度の本を、来年の自分の為にnoteに記録しておく。
イヴァン・イリイチの「コンヴィヴィアリティのための道具」を読んでから数年が経つ。現代社会における過度な技術依存とその結果としての社会的・個人的な問題について考察するイヴァン・イリイチの主要な作品であり、私が「共生」という言葉を使う時にいつも思い浮かぶ著作でもある。最初に読んだ社会人数年目の頃は、何故か宗教思想の勉強を避けていたから、数年ぶりに読み返すからには禅や茶道の教えとしての仏教思想や、戦間のアートと絡めて考えておく。もうすぐ8月6日だ。
イリイチは技術をただの便利な道具としてだけでなく、私たちの行動、価値観、社会全体を形成する力と捉えている。そして、この技術の力が個人や社会全体の自由や創造性を阻害しないように、その使用を適度に制限すべきだと主張している。
本書は、私たちが技術とどのように向き合い、それをどのように制御すべきかという重要な問いを提示している。これは仏教の中道の思想と共鳴する部分がある。中道の思想は、極端な欲望や行動を避けることを推奨し、真実を見つけるためには中庸の道を進むことが必要だと説いている。技術を全く使用しないという極端な行動を避け、その代わりにその使用を適度に制限し、その影響を深く理解することが重要だというイリイチの考えは、この中道思想と一致する。だから、「コンヴィヴィアリティのための道具」は、テクノロジーと個々の生活、そして社会全体との関係性について深く考えるきっかけを常に与えてくれる。
イリイチの見解によると、テクノロジーは私たちの日常生活に深く浸透している。しかし、それが全て良いというわけではない。彼にとって、テクノロジーの適切な利用は、それが個人の自由と創造性を奪わない範囲で行われるべきだということだ。この思考の流れは、どのようにテクノロジーを使用すべきか、そして私たちの日常生活にどのように組み込むべきかという問題に対する一つの答えを提供する。
イリイチはテクノロジーを「道具」と見なしていた。この視点からすると、道具はそれ自体で価値を持つものではなく、それを使う人間がどのように使うか、どのように関わるかによって価値が決まる。彼は「道具」が「コミュニティ」とどう相互作用するかによってその価値が大きく変わると主張していた。つまり、道具(テクノロジー)が人々の間での対話や交流を支え、またそれを可能にするとき、最大の価値を発揮するというわけだ。
これは仏教の「縁」の思想とも共鳴する部分がある。すべての存在は相互依存的であり、個々の存在は他の存在との関係性の中で初めて意味を持つという考え方だ。また「技術の使用による自由度の変化」も興味深い視点である。イリイチはこの問題についても深く考え、技術を使用することで人々の生活がどのように変わるか、そしてそれがどのように自由度に影響を及ぼすかについて考察していた。
彼は、テクノロジーが単に人間の労働を軽減するだけでなく、その使用によって生活そのものが変化し、その結果、人々の自由度が増減するという観点を持っていた。
例えば、自動車があれば人々はより広い範囲で移動できるようになるが、一方でそれは都市計画、社会の構造、人々の生活様式にも大きな影響を及ぼす。それは人々がどのように時間を使い、どのように生活を組織するかにも影響を及ぼす。したがって、自動車のような技術は、それがもたらす自由度とともに、新たな制約も生み出す。
そして、これもまた仏教の思想と重なる部分がある。仏教では、「自由」は単に制約がない状態を指すのではなく、自己と他者、そして世界との関係性の中で見つけ出されるものと考えられている。すなわち、真の自由は、制約や依存性を超えて、繋がりの中で見つけ出される。
話は飛ぶが、戦時中、アートはしばしばプロパガンダの道具として使われ、政府や軍隊によって人々の意見や感情を形成するために使用された。一方で、アーティストたちは戦争の経験を通じて深い洞察を得て、その反映として作品に取り組んでいた。そして、その作品の創造や展示に用いられる技術もまた、戦争とともに進化し、その進化がアートそのものに影響を及ぼしてきた。我々はそれを今、美術館というある種のコミュニティで鑑賞をすることができる。
この観点から見ても、イヴァン・イリイチの「コンヴィヴィアリティのための道具」の中心テーマである技術と自由度の関係は、戦時中のアートのコンテクストにおいても非常に関連性がある。
例えば、プロパガンダのために使われるアートという技術は、その制作や展示の自由度を拡大する一方で、それが表現するメッセージや視点を制約する。それは、技術が自由度を増やすと同時に新たな制約を生む、というイリイチの主張と共鳴する。
同様に、仏教の思想も戦時中のアートに反映される。苦しみや苦痛、そしてそれを超える希望や解放への道がアート作品のテーマとなることはよくある。これは、仏教の核心的な教えである四苦八苦(生、老、病、死)とエンライトメント(覚醒)の達成に通じる。
また戦時中のアートという視点から見ると、技術は表現の方法を大きく変えてきた。イリイチの言う「道具」は、ここではアートの制作に用いられる技術や材料と解釈してみる。絵画にしても彫刻にしても、戦争の影響で新しい材料が利用可能になったり、既存の材料が手に入りにくくなったりすることで、アートの表現自体が変わり続けてきた。さらに、プロパガンダ目的で広範囲に配布されるためのポスターやリーフレットの印刷技術もまた、戦時中のアートを形成する重要な要素となっている。
しかし、こうした技術の進化がアートの自由度を制約する一方で、それは新たな創造性を刺激する可能性を秘めていた。制約があるからこそ、アーティストはその制約を超える方法を模索し、新しい形式や表現を生み出してきたのだ。これはイリイチの主張する、技術が同時に自由と制約をもたらすという考え方と一致する。
戦時中のアートと仏教思想とのつながりについて考えてみると、戦争の苦しみという体験がアートにどのように反映されるかが重要なテーマとなるのは変わりがない。仏教では、苦しみは生きることの本質的な部分であり、それを理解し、受け入れることで苦しみを超える道が開かれる。戦時中のアーティストは、自分自身や他人の苦しみを表現することで、観る人々にもその理解を促すことができた。それはまた、観る人々が自身の体験や感情を反映し、共感し、そして理解する手段ともなり得るし、同時に表現することでしか自由を得られなかったというV・E・フランクル的な思想にも立てる。
戦争が直接的にアートに影響を与える一方で、間接的にもアートの形や表現を変えてきた。それは、社会や文化、さらには個々のアーティスト自身の思考や感情に対する影響を通じて現れていると感じる。具体的には、戦争が引き起こす恐怖や絶望、悲しみ、怒りといった感情がアート作品に反映されていて、他の時代のアートとは一線を画すものがある。また、戦争によって社会全体が抱く価値観や視点が変わると、それもまたアートに影響を及ぼす。
イリイチの考える「コンヴィヴィアリティのための道具」の観点からすると、これらの感情や視点の変化は、新たな「道具」を提供したのかもしれない。それらは物理的な道具ではなく、アーティストがアートを通じて自己表現を行うための精神的な道具である。アーティストはこれらの道具を使って、戦争の経験を視覚的に表現し、またその経験を共有し理解することを可能とする。
さらに仏教思想の観点から見ると、このプロセスは、アートを通じた「覚醒」の一形態とも解釈できる。仏教では、苦しみを理解し受け入れることが「覚醒」への道であり、それは最終的には苦しみからの解放をもたらすと考えられてきた。戦時中のアートは、個々のアーティストや観る人々が戦争の苦しみを理解し、それを受け入れ、そしてそれを超えていくプロセスを描く一方で、そのプロセス自体が覚醒への一歩ともなり得たとの仮説が成り立つのではないだろうか。
戦時中のアート、イリイチの「コンヴィヴィアリティのための道具」、そして仏教思想は、それぞれ独自の視点から、人間の苦しみとそれを超えていくプロセスを理解し表現する手段を提供してくれる。それらは別々のフィールドから来ているように見えて、それぞれが提供する視点や道具は、結局のところ同じ人間の経験を探求するためのものであり、それぞれが互いに補完し合いながら自己と利他、そして共助から共生に至るために必要な「道具」という視点を提供してくれる。
言葉を違えただけで「ムッとする」ある種自由な道具に縛られた人間の決めつけや思い込みは、人々の共生的な社会を遠ざける道具に成り下がっているように思う。
ーー来年の自分へ独り言。
8月6日、若しくは8月9日には平和記念公園へ行く。自分の原点に立ち返り、中庸な自分を手に入れるのではなく、生ある限り燃え続けるような自分の原点と、祖先が生き抜いた時代の血を繋いでいく機会を自らつくりたい。ベイトソンの言うところのダブルバインド、ここから止揚していくような巧妙な構造を自分自身に課してみる。
曹操が放つ「奸雄足らずとも、必ず天下の一雄になってみせる」という言葉の前に立ちはだかる百難と戦うには、中庸な教えでは恐らく無理だろうという、前例の曖昧な仮説に基づいている。