見出し画像

イメージの消費者、生産者としての責任(MOCA, Alfredo Jaar, 11th Hiroshima Art Prize) 

 現代アートの極髄といえる鑑賞体験。至高?上質?極致?形容し難いので、初見の感動(絶景を予備知識なしで偶然見た時のあの素晴らしさ)を得たい方は、何も考えず、下調べもせずに、広島市現代美術館へ行ってください。(人生で優に3桁は展覧会を見てきた人の意見として、参考までに…)

 ヒロシマ賞を受賞したアーティストは総じて素晴らしく感銘を受けることが多い。第一回の受賞は三宅一生。

 「平和のためにアートをつくっているというよりは、アートが本質的に素晴らしく、その結果、平和に貢献した」という文脈から成り立っているからだろう。ヘラルボニーと通ずるところがある。常に本質的なものでないと惹かれることはない。(それを見分けるには不断の努力が必要であることは前提としておく)

 ヒロシマ賞は、美術の分野で人類の平和に貢献した作家の業績を顕彰し、世界の恒久平和を希求する「ヒロシマの心」を現代美術を通して広く世界へとアピールすることを目的として、広島市が1989年に創設

広島市現代美術館(Hiroshima MOCA)

  今年のヒロシマ賞はアルフレド・ジャー。恥ずかしながら彼をこれまで知らなかったが、今回の鑑賞体験があまりにも上質で、深く突き刺さる作品「しか」なかったので、記録に残しておく。6作品はヒロシマをテーマに新たにつくられたもので、残りの3作品はそれ以前の作品。特にその3作品と本人のキュレーションに圧倒された。(佐々木さんという素敵すぎる学芸員さんからの説明でより感動しました。御礼を。)

 「イメージ」に対しての責任を問うてくる「サウンド・オブ・サイレンス(2006)」は「被爆者の写真」に添えられたコメントと重ね合わせざるを得なかった。

サウンド・オブ・サイレンス(2006)は異様な体験

カメラを構えたが、シャッターが切れない。
20分ほどためらい、
やっとの思いで、一枚目のシャッターを切った。

8月6日午前11時ごろ 爆心地から2,270m(松重美人撮影)

決定的な一枚を写すためにカメラを構えた。
20分待った。
ハゲワシが羽を広げるのを期待した。
彼は何枚か写真を撮ってから、ハゲワシを追い払った。

サウンド・オブ・サイレンス(2006)

 「20分シャッターを切れない(切らない)」ということを掛け合わせているかと思ったが、事実がそうではないらしい。バイアスとは怖いものであると思いつつ、問うてくるものの重さは並々ならぬものがあったし、自分の中にキャプションが刻まれていて良かったと心底思う。

少女が再び必死に歩み出す姿を見つめ
木の下に座り、煙草に火を点けて
神と話した
涙を流して
ケヴィン
ケヴィン
ニューヨーク・タイムズ紙がその写真を購入して
1993年3月26日に紙面掲載すると
世界中の雑誌や新聞がその写真を転載した
何千人もの読者が投書や電話をして
少女がその後どうなったのかを尋ねた
なぜ彼は少女を助けなかった?と、彼らは聞いた
「少女の苦しみを最高の一枚に仕上げようとしてレンズを調整する男は、彼自身がまた捕食動物も同然であり、その場にいたもう一羽のハゲワシであったと言えるだろう」と、ある批評家は書いた

サウンド・オブ・サイレンス(2006)
サウンド・オブ・サイレンス内の「ハゲワシと少女」(ケヴィン・カーター撮影)

1994年4月、ケヴィン・カーターは権威あるピューリッツァー賞を受賞
1994年7月、ケヴィン・カーターは自殺した

サウンド・オブ・サイレンス(2006)

「本当に、本当に、すまない」と彼は書き残した
僕は、
殺戮と死体、
怒りと苦痛、
そして飢えて傷を負った子供たちの
鮮烈な記憶に
取り憑かれてしまっている…
生の痛みが
生の喜びを圧倒し
もはや喜びなど存在しない

サウンド・オブ・サイレンス(2006)

 生の喜びが、生の苦しみを圧倒できるように、祈る。

サウンド・オブ・サイレンス(2006)



爆心地を見通すヘンリー•ムーアの「アーチ」


われらの狂気を生き延びる道を教えよ(1995-2023)

  この作品も爆心地を見通すMOCAの狭間に位置する。(真意は定かではないらしいが、後から佐々木さんに聞いて腑に落ちた上に鳥肌が立った)


MOCAの入口

 

キャプションで鳥肌が立った作品


ヒロシマ、ヒロシマ(2023)

 筆舌に尽くし難い体験を共有できないのは嬉しくもあり切なくもあり、ダブルバインドに陥らざるを得ない。忘れることはない作品になるだろう。

 

SHADOWS(2014)

 アートが好きと言いながら、この作品を約10年も知らなかったことを恥じる。

 


teach us to outgrow our madness (1995-2023)

 彼はルワンダ・プロジェクト(1994〜2000)も手掛けていた。心が動かされる作品やアーティストを、鑑賞後に徹底的に調べて、共通項があると、ゾッとする。偏愛と価値観が先鋭化していくのが分かる。

 心から逢って心を通わせてみたい存在と久しぶりに出逢えた。彼はまだ66歳。Christian Liberté Boltanskiの時のように後悔はしたくない。人の死は「豊かな後悔」には入らないから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?