文脈のアート、と呼ぶにもアーティストが可哀想だなと思いつつ、色んなものが再構築されそうな「盗めるアート展」
ふらっと立ち寄ったものの、密な住宅街という新鮮な景色以外は収穫がなく、盗まれた後のギャラリーが見られなかったのが非常に残念。
あまりにもあっけなく、かつつまらない終わり方と内容だったので(参加者の「盗む」という行為が)、残念だけれどまあ良いや、くらいに思っていたら意外と沢山の議論を読んでいて興味深い。
新しい試み、という点においては失敗も含めて、大きな話題になった事は素晴らしい。参加者が盗む動画なども見ていても、強盗か略奪、まるでロックダウン都市の略奪騒動を想起させるようなものだったけれど、それもまた人間の本質らしくて良いと思う。
作品の中で最も点数が多かったらしいクレジットカード的な作品は、転売価格が2万~3万で売られている。この価格に対して、購入者と販売者はどんな価値を見出しているのだろうか?アートとは対話であるから、購入者が自分なりの理由でこの価格に満足していたとしても、販売者が目先の金しか考えていないとしたら、NYやパリの権威ある美術商が決めるビジネス感満載のアート価格の何万倍もくだらない。そしてそこにはアーティストの思いもなにもなくて、作品に何も宿っていなくて、あくまで文脈のアートの枠を出ない。少し前の愛知トリエンナーレを少し思い出したけど、あそこにはまだアーティストの思いがあったから、今回のは本当に幼稚というか虚無だ。
個人的には、高めの入場価格を設定するか、物々交換展としてアートを持ち寄って、盗む代わりに自分の作品を置いていくとか、そうした方がアート好きには楽しかったのかなと考える。
SNSを見ていても、議論は大喜利の枠を出ないし、アーティストは誰一人スポットが当たっていないし、結局どこにどんな思いがあったのか分からない。それが非常に残念だ。
「作品と、アーティストと、自分と対話して作品を盗む」もしくは「盗む行為をアートに昇華する」事を期待していたけれど、冷静に人の行動を考えれば、期待が大きすぎたのかなぁ。
転売されることで、作品がデジタルを通してコンテンポラリーアートさながら再構築される事とか、転売者がその金で何を買うのかとか、今回の反省を踏まえて新しいアート展は生まれるだろうし、参加アーティストはまた新しい思いで作品をつくるのだろうかとか、取り合えず開催前と開催後で変化が生まれたのは間違いがない。
アートとビジネスは切り離せないものだけれど、アーティストの存在なしにして、作品を無料であげる、という行為には価値を見出せないと改めて感じた。作品に対する敬意と、アーティストとの対話なくして、そのアートに対する情念は生まれない、と思う。
引越しした時にとりあえず玄関に飾るか、みたいな数千円でイケアとかフランフランとかに売られているアートに情念って生まれるのかな。
今回の作品は間違いなくアートだろうけど、一連の行動を施されて、再構築された作品はアートではなく物質でしかない事に寂しさを覚える。
口直しに、早いところ21_21Design Sightのマル秘展とか現美のオラファーエリンソンでも観に行こうと思う。