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千日回峰行とアート
山に来たり修行僧の説法を聞くと、無駄を削って生きるという所業の意味がよく分かります。アートと自然と思想が結びつく感覚も、身体性を伴う感覚で五感をフルに使って感じることができます。
友人が教えてくれた日本の修験道で最も厳しい修行の一つとして知られる千日回峰行。これがどうしても気になっているこの頃。アートを表現する上で、極限の身体性と精神性の発露が鍵になると考えているからです。
この修行に途中で失敗すると自害しなければいけない時代もあったらしく、信心は狂信と紙一重だなと感じます。
修行は約千日間にわたって行われ、大峰山の特定のルートを歩きながら、一定の数の神社や寺院を巡礼し、はじめの700日間は、四季を問わずに行われるそうです。冬も夏も足袋で登山をするとのこと。
この期間中に、大峰山を合計1,000回登り、その後、修行者は残りの300日間、9日間の断食や不眠不臥で不動真言10万回を唱えるなど、尋常ではない内容の修練です。
「華厳の思想」を読みながら登山したので、事象の相互関係や繋がりを重視する「縁起思想」を持つ中心的な教えと自然とを対比させながら歩くことができました。
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華厳の中には「一即多、多即一(一切は具足)」という考え方があり、これは一つ一つの存在が、宇宙全体を代表し、また宇宙全体が一つ一つの存在に反映されているという思想です。宇宙とかいうと怪しい感じがするけど、要するに自分が認識する全てと認識できない全てがそれぞれ入れ子のように関連しているという理解です。
千日回峰行と華厳の思想との関連を考えると、修験者が行う厳しい修行や巡礼は、宇宙や生命の相互の繋がりや一体感を体験し、自己の浄化や啓示を得るための行為だと思います。
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修行を通して、修験者は自己が認識するもの以外との一体感や縁起の中での自己の位置を深く理解し、それを日常生活や人々との関係にも反映させていきます。
単なる肉体的な修行以上に、自己とそれ以外との関係を深く理解し、それをもとに自己を成長させ、他者との関係もより良好にするための精神的な修行でもあることが、非常に魅力的です。過酷すぎる側面もありますが。
登山を繰り返す中で、きっと見える風景が異なることもあるんだろうなと思います。この辺はアートと同じ感覚です。
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「やらないと分からない」のハードルが高すぎるタスクは非常に興味深いなぁと思って生きる目的がまた一つ増えました。
1,000日で他者が到達しない認識を得られるなら良い時間ではないだろうかと考えます。画家が1日で描いた絵もそれまでの数十年があったからこそ1日でその仕上がりになったように、修行を始めるまでに数千日かかったらあまり意味はないのかもしれませんが、修行関連には強い方だと思うので、人生の目的の一つとします。
1,000日、即ち3年なんてあっという間です。日常を消費する中で1,000日を何に費やしたか曖昧でいるより、千日回峰行で修練した人生の方が面白いと感じます。
目的が増えて嬉しいです。
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