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What time is it. What is “Time”.
ホロコーストを知る裏側で、日本軍の歴史も紐解きながら、人がなぜ偏った思考に突き進むのかを振り返ることができたホーツーニェンのアート。テーマは”What is Time”
考えておいたことのエクリチュール。
連続的な時間の流れの中で、私たちは無数の非連続的な瞬間に出会う。その一瞬一瞬の間に広がる「余白」こそが、言葉では捉えきれない存在の本質を感じ取る場となるのかもしれない。
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写真という行為及び表現、偶にアートになり得るものは、時間の連続性から切り離された断片を切り取ることで、日常に潜む非日常性を浮かび上がらせる。フレームの内と外、光と影、焦点の合う部分と合わない部分の絶妙なバランスは、見る者の想像力を掻き立て、固定された意味からの解放を促す。写真の余白は、鑑賞者自身の物語を紡ぎ出す「共犯」となるようにも思う。
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言葉は世界を概念化し、分節化する。だが、言葉の網の目をすり抜ける何かが常に存在している。余白は、その言語化できないものへの感受性を呼び覚まし、私たちを存在の深みへと誘う。写真に残された余白は、言葉を超えた真理や美の予感に満ちていると感じる。それが連続した映像も同じ。
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余白は、意味の不確定性を孕んだ、未知なる可能性の場でもある。既存の解釈を宙吊りにし、新たな意味が立ち現れるための「間」を作り出す。写真の余白を前にして、私たちは能動的に意味を生成する「共著者」となる可能性がある。それは写真という手法でなくても良いのだけれど、トラディショナルなビジネス文脈で使われるような言葉の定義では到達できない。
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人は誰しも、確固とした意味の地盤の上に立ちたいと願うものだ。だが、真の深みは、その確かさへの渇望を手放し、意味の曖昧さや不確かさを引き受けることから始まるのかもしれない。余白という非連続性の中で、自己の不確かさと向き合い、言葉を超えた存在の謎に触れること。写真はそうした実存的な跳躍へと私たちを誘うことがある。
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つまるところ、余白を探求することは、自己の内面を見つめることに他ならず、それは自分の環世界を自覚することでもある。写真という一瞬の断片は、私たち自身の存在の非連続性を照らし出す鏡なのかもしれない。余白という「間」を生きることは、言葉の限界を越えて、存在の本質に近づくきっかけになるかもしれない。
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歴史の悲劇は、知識と想像力の欠如が生む暴力の連鎖を物語る。余白を感じ取る感受性を失えば、個人の尊厳は抹消され、全体主義に飲み込まれる。
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私たちは歴史から学び、余白に対する感受性を磨くことができるのだろうか。一人一人の存在を認め、非連続性を受け入れること。それが(身体性によらない)暴力の連鎖を断ち切るきっかけになればと思う。
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わからないものに触れられた時の嬉しさと恥ずかしさは貴重です。シンガポールの歴史と鈴木大拙を勉強してからもう一度訪れてみます。