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特大スリップと新しい発見について

久しぶりの更新です。
実は、2024年9月末に特大のギャンブル行動を行いました。

ブログで立派なことを散々書いていて、何となく恥ずかしい気持ちもあったし、ギャンブルをしてしまったことに対する無気力感もあって、頭の中からブログの存在がすっかり消えさっていた、というのが正直なところです。

2024年8月のお盆に、1日も経たないうちにパチンコにて5万円を失いました。そこからひと月後の9月末に競馬でも(金額的に)特大のスリップをしてしまったというような状況です。
このときの心境などは、機会があれば個別に記事にしてみたいと思います。

そんなわけで現在は、最後まで二の足を踏んでいた自助グループに繋がるにいたり、精神的にもなんとか持ち直しているといった感じです。そして通院も再開したいと考えています。(こちらはどこに行くか模索中ではありますが・・・。)

こうした機会に際して、改めてギャンブル依存症について復習したり、または新たに学んだりしている最中なのですが、今回の自分の経験から大事だなと感じたことについて、下記にまとめていきたいと思います。


ギャンブル依存症はよく、「否認の病」だと言われています。その意味は、2つに大別されると考えることが出来ます。

  • 当人がギャンブル依存症ということを認めない

  • ギャンブルさえしなければ(我慢していれば)大丈夫だという考え 

    (田中紀子さんの「ギャンブル依存症」という本を参考にしました。)

ギャンブル依存症は、自分自身がギャンブル依存症ということを認めない、認めることが出来ない病気である、ということが言われています。ことギャンブル依存症においては、身体のどこかに異常が現れるわけでもなく、普通に仕事をこなしていて日常生活における思考も正常・・・ギャンブルをすること以外は普通の人間である人が多いからこそ、「自分はギャンブル依存症なんかではない」といった具合に、なかなか自分がギャンブル依存症であると認めることが出来ないとされています。

依存症へとなった場合には、際限なくギャンブルをし続けてしまうことから、経済的な状況が日に日に悪くなっていくし、他人を巻き込んでいくことになったり、借金がみるみる膨らんでいくような事態に発展していきます。そして、そうなってきた時にいよいよ自分自身が依存症であるという現実を、否が応でも認める他なくなる状況になります。これが、いわゆる「底付き体験」というものだと思います。

そしてもう一方の「ギャンブルさえしなければ大丈夫だ」という考えは、言い換えれば、「ギャンブル依存症という病気を軽んじている」ことだと僕は考えました。そして、これを知ることがとても大切だったなと、今さら痛感しているところです。
自分について振り返りながら、どういうことなのか書いていきたいと思います。

僕の場合、今まで誰にも言ってこなかった借金の問題を、両親にすべてをさらけ出した結果、返済計画を立てることが出来ました。精神科医にもかかることが出来ました。順調に借金返済を継続していくことにも繋がって(そんなことすら覚束ない状況になっていました)、両親に資金管理を自ら志願することもなりました。
そんなわけで、たとえギャンブルをしてしまったとしても、昔のように経済的にも精神的にも致命傷を負うことが一切無くなりました。これはもちろん、良い変化だと考えています。

しかし、これらが根本的な解決になるかと言われれば、答えはノーだということ、それが今回のことではっきりと理解できました。

例えば、アルコール依存症者が断酒する際、当然ながら節酒自体の一切が許されない、とされています。「今日くらいは」と思った一杯が、また大きなスリップに繋がって、結果的には状況を悪化させる傾向にある、という事も学びました。同じ依存症であるギャンブル依存症も、このアルコール依存症とまったく同じ構造をしていると考えられます。

ここで、僕がやってきた「良い変化」に立ち戻ります。
これらは、ギャンブル行動を取らない為の対応策や、自分自身の精神を健全に保つためにとても重要なことだったと考えます。これによって前向きに生きている感覚を得ることが出来ていましたし、借金の返済が徐々に進んでいいたことも精神面に良い影響を与えていたと思います。ギャンブル行動と借金、借金の延滞を繰り返していた人生とは比較にならないくらい、人間らしく生きているな、と感じられるようになりました。だから、僕にとっては正解のルートの一つを辿っていたとも思うし、継続していくべきことでもあると感じています。

しかしながらこうした「良い変化」と「自分がギャンブル依存症という病気であるという現実」とは、隔てて考えるという視点が大切で、僕にはそれがかなり不足していたように思うのです。

病気であるという現実・・・それは僕自身、ギャンブル行動を求めてしまう欲望が人一倍あって、ひとたびギャンブル行動をしてしまえばキリを付けることが出来ず、いくらでもギャンブル行動が出来てしまう病気に罹患している、という現実です。

これを身をもって認識していたか?自信を持って100%そうだったか、と聞かれればそうではなかったことに気付きました。

たとえ今僕がもしギャンブルをしてしまっても、経済的な致命傷を負わない事を頭のどこかで認識していたし、資金管理についてすこしの隙を設けていたこともまぎれもない事実だったと思います。甘かったです。

こうして病気であるという認識・・・自分の脳内に重大なエラーが生じていると強く認識する事が大切なのは、「治療」が必要であることを自覚できることも大きいと考えています。

もちろん僕が書いてきた「良い変化」が治療ではない、とは言い切れませんが、根本的な「治療」が必要だという視点はとても大切だと考えることが出来ました。治療をしないといけない病気に罹っているのにも関わらず、「ギャンブルさえしなければ大丈夫だ」と安易に思考して良いわけがありません。
そもそもギャンブル依存症は、ギャンブル行動を辞めたくても辞められない病気です。「ギャンブルさえしなければ大丈夫だ」と安易に考え続けて断ギャンブルを実行できるわけがありませんでした。

端的に言って、ギャンブル依存症という病気に対して、油断した状態で毎日を過ごしていたと思います。
自分自身、ギャンブル依存症という病気を自覚してからもう1年以上経っているのにも関わらず、今さらながらこのような認識を持つにいたりました。どれだけ遠回りしてきたのだろうと思いますが、あくまで前向きに考えて、自分の意識、認識を変えていきます。

さて、「治療」といっても具体的に何をするのか、ということですが、その答えとしては、今のところ次の二点を継続していく事だと理解しています。

①精神科医に受診し続けること
②自助グループに定期的に通い続けること

この二つが「治療」になると考えて、継続してやっていこうと思っています。

精神科医については僕自身、すでに2件のギャンブル依存症外来にかかりました。その結果としては、通院することにあまり意味を感じられることがなく、結局のところ長続きしなかったです。それに、病院や医師の選択も大事になってくるのだということを何となく感じていました。特に、自分の生活圏の中には、ギャンブル依存症外来に特化した良い病院がないという判断を下していて、それを通院しない言い訳の一つにしていたと思います。
もう一度病院を探してみて、通院を必ず再開させます。

自助グループに関してはすでに一度参加してみましたが、「もっと早くいけばよかった」と思っています。それくらい良い場所だったし、継続して通っていきます。
自助グループに関しては、また別に記事を作りたいとも考えていますが、今回はここまでに留めておこうと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ニコニコ生放送というところで、週1日~3日程度、ギャンブル依存について語る放送をしています。よければ一度、のぞいてみて頂ければ幸いです。

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