幽霊たち
夏になると怪談が、あそこでもここでも話されるのは、日本の奇習であるとおもう。
初め知ったときには、怖いのと涼しいのと、なんの関係があるのか、さっぱりわからなくて面食らった。
幽霊が出てきて、納涼であるという。
ノーリョー?
怖いとノーリョーするんですか?と間延びしたことを、こちらが訊くので、聞かれたほうも、なんとなく間延びした顔になっている。
いまでもほんとうは、いったいどういう因果関係になっているのかわからないので、めんどうになって、「とにかく日本には、そういう奇々怪々な風習があるのだ」という事実認定を以て、理解に替えてしまった。
岡本綺堂が書いたものだったかに、首縊りの門の話がある。
麹町だったとおもう。
姿の良い門があって、夕刻、ひとりで見上げていると、なんとはなく死にたくなってきて、半ば朦朧として、紐をかけて首をくくって死んでしまう。
門を木に交換して、あのおもしろい怪談がいっぱいある「新耳袋」のエピソードになっていたとおもうが、もとは、江戸に伝わる、川奈まり子さんふうにいえば「実話怪談」です。
日本はいうまでもなく怪談の宝庫で、英語圏とならんで、読んでいるだけで、ぐわああああ、とこみあげてきて、お布団をひっかぶってシクシク泣きたくなるくらい怖いお話がたくさんあります。
歴史が長いからかというと、こういうことはそうでもなくて、妖怪大戦争なみの登場亡霊の多さで、しかも、ほとんど毎晩、皆勤で必ず亡霊があらわれるゲチスバーグがあるアメリカ合衆国はもちろん、米国と較べてもずっと歴史が短くて、若い国であるニュージーランドも、実話怪談の巨大倉庫のような国で、深夜のパブの二階から19世紀の扮装の女の人達がこちらを見ているは、カラカという町にある精神病院跡にいたっては、一歩足を踏み入れれば、これでもかこれでもか、これでもまだ一緒に冥途に来ないと言い張るか、と言わんばかりの心霊現象の連続パンチが待っている。
ここが不思議だが、いっぽうではフランスにはおばけが出ないので有名で、ロシアに至っては、失礼にも、こちらは親切にも、怖がらしちゃろうとおもって声音まで工夫して話しているのに、本来なら、ぎゃあああ、と叫んでシクシクになるはずのところで、大口を開けて笑いころげて、西欧人は迷信家が揃っていると言うが、ほんとなんですね、と、若い夫婦がふたり並んで、いまにもひきつけを起こしそうにしながら笑っている。
そのうちに笑いすぎて、しゃっくりを起こしているので、なるほど幽霊がしゃっくりしていては怖くもなんともないので、きみたちの国では、そういう間抜けなことだから幽霊もバカバカしくて姿をあらわさないんだよ、と悪態をついてみたくなります。
あれは、すなわち科学的唯物論が売り物だった共産主義社会の名残で、教育が幽霊を一掃したわけで、その証拠には、革命以前のロシアには、偉大なゴーゴリをもちだすまでもなく、怪奇物語も、実話の民俗物語も豊富に存在している。
自分では、幽霊は目撃はするが、そんなものはいないのだということになっている。
なにしろもとは科学教育をうけて、幽霊などは存在されると迷惑このうえなくて、肉体がないのだから大脳を持たないのに意識はあって、あまつさえ生きている人間に話しかけて、応答までしたりして、そんなことがあっては、科学のほうはたまったものではない。
物理法則に反していて、そんなリンゴが地面からふらふらと舞い上がって枝の上に載って、こちらに手をふるようなことがあっていいわけはない。
しかし例えば、夜中に真っ青な顔で、実家の別棟に泊まっていた友だち夫婦が中庭を横切ってやってきて、「ガメ、ごめん。頼むから一緒に来てくれないか、玄関の横のバスルームのドアの陰に子供がいるんだ」という。
夜更けなのだから、そんな時間なら幽霊に決まっているが、やむをえないので付き添っていくと、誰もいない。
なんだ、誰もいないじゃないか、と言いさして、ふり向くと、若い夫婦はいなくなっていて、なんだか白くぼんやりした金髪の子供が立っている。
1 話全体が夢である
2 若い夫婦は悲鳴すらあげずに逃げた
3 ここのところスコッチソーダを飲み過ぎて脳の機能が低下している
などと考えていると、女の子がふっと消えて、もとのように若い夫婦が立っていて、「い、いまガメが消えて、ガメが立っていたところに、あの女の子が立っていたんだけど」と、ふたりで震えている。
見えてしまったものは仕方がないが、信じるのは嫌なので、いないことにして、脳の働きだとか、共同に幻想を視ているのだとか、ほらあ、ゴート族討伐に向かうコンスタンティヌス帝の軍勢は、全員で、空に輝く巨大な燃える十字架を見たと記録を残しているではないか、あれとおなじですよ、とか、さまざまな、合理的で曖昧な仮説を立てることになっている。
妹が午寝できないままに、ベニスのホテルの部屋の部屋の反対側にあるベッドに眠っている兄(←わしのことです)を見ていると、ベッドサイドのライトが低く、高く、明滅しはじめる。
性格は悪いが兄おもいでなくもない妹は、起こすのをためらっていると、ライトが、到底人工燈のものではない閃光を放ったという。
同じホテルでは、ぼくも、開けた鎧戸がから首を出して、下の運河を眺めていたら、突然、まったく風がないのに鎧戸が閉まって、頭をしこたまぶつけてしまった。
チェックアウトするときに、二週間ほどの滞在のあいだに仲良くなった、フェラーリというおぼえやすい名前のせいで、いまでもおぼえているレセプションのおっちゃんに「このホテルって、幽霊がでるの?」と聞くと、謎めいた微笑を浮かべて、「そんなことは、ありませんよ、坊ちゃん」と述べたが、いまおもいだしてみると、あの悪戯を見つかったガキンチョのような目は、どうおもいだしてみても、言葉とは裏腹に、幽霊が出ることを悟らしめようとしたのだとおもわれる。
いつもは誰に聞かれても、幽霊なんていませんよ、と応えているが、いなくても見てはいるので、このブログにも午前二時の二階堂で駐車場で飛び出してくるまっ黒で影のような小さな男の子や、そんなところに住宅はないのに家のドアから出てきて、その黒い影のような子供に「もう遅いんだから、外で遊んでいないで家に入りなさい」と述べる、やはり黒い影のように見えた母親や、鎌倉山の、赤いハイヒールははっきりと見えるのに、足だけで、道を横切る若い女の人の足や、いろいろな亡霊が登場します。
他の人の「実話怪談」で最も印象に残っているのは、文庫本で読んだ成田-ニュージーランド線に乗務するJALの機長の話で、成田からクライストチャーチかオークランドに飛ぶフライトの航路にはガダルカナル島にビーコン基地があって、その直上を飛ぶが、見えないはずなのに、足下の床の下方のガダルカナル島から、すごいスピードで垂直に上昇してくる光の球が「見えて」、うわっ、なにごとだろうとおもっていたら、目の前に突然、ボロボロの旧日本帝国陸軍の軍服を着た兵士が現れて、願いがこもった目で機長の人をみつめながら、敬礼したという。
あるいは蒐集している雑誌に載っていた、元記事は新聞だと記されていた記事で、描写から大周楼だと知れる「料亭のおかみさん」の話で、仕事を終えて、店の片付けを終えて、深夜の靖国通りに出たら、これもボロボロになった軍旗を先頭に、やせさらばえた兵士の一団が靖国の神社の鳥居をくぐっていった、という話で、
どうも、日本の怪談で切実であるのは、旧軍の兵士の無念のおもいがこもった話が多いような気もします。
目撃談を並べておいて、まして、自分自身の体験した話までしておいて、こういうのはヘンテコだが、いるかいないかと問われれば、やはり幽霊はいないのではないのかと応えるほかはない。
一方で、現代では誰も信じない妖怪は、現実に存在するのではないかと、日本の、特に軽井沢にいるときに考えたので、自分でも奇妙だが、幽霊などは、やはり、人間には到底手がとどかない、人間の脳の働きのどこかからやってきた幻影なのではないかと考えています。
ぼくは、日本の、由来はどうなのか知らないが、お盆には先祖や彼岸のひとびとが此の岸にもどってくるのだという文明的な信念を愛している。
かつてのマヤの文明に似て、日本の文明ほど、「死」の側から生を眺めることに慣れた文明はない。
富山に行けば、死は生と完全に拮抗する世界として認識されている。
立山に向かう死者の群れは、まるで、茶化して聞こえては困るが、移住者の群れのように語られている。
立山から恐山へ。
日本の人たちは、それほど強く意識することなく、お盆のたびに死をおもい、死したひとびとをおもい、その死者が願った世界を自分たちが引き受けて建設しようとする。
それは、びっくりするような美風で、日本人は神を信じないのだ、という言葉を聞く度に、お盆の、死者と生者の交感をおもう。
いつか、ひどく酔っ払った夜更けに、義理叔父と鎌倉の妙法寺を歩いていて、目の前を歩いていたひとが、音声にされない、心から心に伝達される言葉で、叔父とわしの内心に同時に聞こえる声で、「わたしは死人(しびと)です。この世界が、どうしても好きになれなかった」と述べたようにおもえて、おもわず義理叔父と顔を見合わせたら、そのひとが立ち止まって、ふり返って、寂しそうに笑ったことをおもいだします。
日本語では、死者の世界は限りなく実在に近い。
そこにも、日本の文明の秘密を解くヒントが、あるのかもしれません。