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華氏100度の夏に 第二回
3
とんでもないことになった。
従兄弟がマンハッタンに戻れなくなった、という。
出来れば、ひとりでなんとかしてもらいたい。
どうしてもダメならケンブリッジまで来てくれればなんとかするが、自分としては折角の機会だからマンハッタンで一ヶ月を過ごしてみてはどうか、とおもう。
ノリちゃん、ひとりじゃ怖い?
ひとりで知らない危ない街に放り出すのもなんだから、ついては友達を紹介してやる、という。
会いに行ってもらえまいか。
ガビン。
「ひとりじゃ怖い?」と言われると、なにがなし、腹が立つが、図星で、ニューヨークという街は、つくづく怖い。
まず街のおおきさがよくない。
映画で観ていたときは気が付かなかったが、マンハッタンのビルは、人間の想像力がとどかないおおきさ、というか、間近にみると、自分の存在の小ささを嘲笑われてでもいるような大きさである。
子供のときに両親に連れていってもらったパリの、例えば地下鉄のサインの、人間の十倍は優にあるバカバカしいほどのおおきさを観たときも、どうしてこんなに無意味なおおきさにするのだろう、と子供心に不愉快だったが、ニューヨークのあらゆるものの「バカでかさ」に至っては、
まるで憲郎を蔑むために、見下すために無暗におおきくしてあるようで、「暴力的なおおきさ」という表現が頭に浮かぶ。
1988年のマンハッタンの通りを歩いている憲郎は、知らないが、ニューヨークはこのあと、ルディ・ジュリアーニがすっかり自分の手柄だということにしてしまうが、実際には
アフリカ系アメリカ人市長のデイヴィッド・ディンキンズの目立たない地道な努力によって、世界有数の安全な都市になってゆく。ごく近い将来にそんな事態が待っているとは考えようにも考えられない危険が、マンハッタンのあちこちに隠れている。
完全に隠れてくれていればいいが、ときどき顔をのぞかせる。
今朝、出かけてくるときに、従兄弟の友だちが住んでいるアパートの近く、待ちあわせ場所のEast Villageにあるストランド書店までの行き方を守衛の人に尋ねたら、
そうおもってみるせいだろうか、「また新たな犠牲者か」とでもいうような気の毒そうな顔をして、この地下鉄の駅に行くときにはね、この道を行くんだけど、この交叉点で、反対側に渡って、三つ目の交叉点で、また渡り直して、元の側に行かないとダメだよ、と、英語が心許ないと看て取ったのか、何度も繰り返す英語で教えてくれる。
「なんでですか?」と訊くと、このブロックはビルの物陰に隠れていて、歩行者の腕を捕まえて建物の物陰に引きずり込む強盗たちの巣窟なんだよ、と恐ろしいことをいう。
だから、このブロック以外のところでもビルに近い方を歩いちゃだめだよ。
危ないからね。
なるべくビルから離れた場所を歩きなさい。
ビクビクしながら、通りを歩いて、身体が痙攣しているジャンキーの若者に足首をつかまれたりしながら地下鉄の駅に下りてみると、トークンや映画で観た地下鉄の回転式バーがある改札を経験できて嬉しかったが、ホームにおりてみると、
黄色いラインで描かれた「ボックス」があって、そのなかに立っていろ、ボックスから出た場合には生命の保証はできない、と恐ろしい事が書いてある。
がら空きの人気(ひとけ)が少ないプラットホームに、黄色い線のなかだけ、押しくら饅頭でぎっちり人が立っている。
その落ち着かない怯えた表情が屠殺場の家畜を連想させる。
もう嫌だ。
こんな街にあと1ヶ月も住んでいたら神経が参って発狂する、とおもいながら、
やっとのおもいで、ようよう、"18 Miles Of Books”、 ストランドに着くと、電話で決めたとおり、猿の根付をペンタントにして首から下げた、明るい生姜色の髪の、憲郎より少し背が高い女の人が立っている。憲郎のほうは、合図に、従兄弟がプレゼントで持って来てくれたハーバードビジネススクールのTシャツを着ていたが、どうも、アジア人は数が少ないので、観て直ぐに憲郎だと判ったようでした。
それにしても、違ってたらどうするつもりだったんだろう、と憲郎が、…後で考えると、いかにも日本人風な…心配をしてしまったほど、いきなり、眼を輝かせて、手を挙げて、駆け寄ってくると、
まず立ち止まって「ハグしてもいいの?」と訊く。
ああ、ダイジョブです、とマヌケなことをつぶやく憲郎を思いきり、ギュッと抱きしめると、
「わたしがアンジー。わたしはユダヤ人よ。あなたの従兄弟のチームにいるミシェルの妹」
いきなり、わたしはユダヤ人、って、普通の挨拶なんだろうか、と訝っていると、
アンジーのほうは、
「日本人は身体に触れられるのを嫌がると聞いたわ、違うの?」と早口で聞く。
ああ、それでハグしてもいいかどうか、訊いたのか。
ユダヤ人という挨拶のほうは、…いや、やめておいたほうがいいな。
言葉がぐるぐると頭のなかを回っているが、言葉だけで眩暈を起こしているようなもので、
簡単にいえばドギマギしている。
おい、しっかりしろ! と自分で自分を叱咤しなければならないほど、あがっている。
こんな人だと判っていたなら、従兄弟は「美人だからな、気を付けろ」くらいは言ってくれてもよかったのではないか。
いや、気を付けろ、ということはないか。
なにを言ってるんだ、おれは。
「どこか行きたいところはある?」と訊く。
「エンパイアステートビルディング、とか言わないわよね」
というので、少しはニューヨークを知っているんだという、後で考えると、つまらない見栄が影響したのでしょう
フラットアイアンビルディング、と述べると、
失礼にも、思い切り、噴きだされてしまった。
アメリカ人の女の人は、どうしてこうナチュラルに失礼なのか
息が苦しくなるほど笑ってから、
ああ、可笑しい、あなたって、面白い人ね、と言ってくれたので、怪我の功名、
案外、よかったのかもしれない。
1945年7月28日、濃霧の日にB25が衝突した箇所をエンパイアステートビルまで行って確かめたかったが、ひとりでこっそり行ったほうがよさそうでした。
そんなこんなでリラックスした気持ちで近くのベトナム料理屋へ行った。
日本ではベトナム料理屋は珍しい存在で、新聞記者のベトナム人の奥さんが赤坂に出している有名な店は名前は知っていたが、憲郎は行ったことはない。
教養学部がある駒場から宇田川町の小劇場にツヴァイクが原作の芝居を見に行ったときに、東急デパート本店の斜向かいにあるビルの二階のベトナム料理店に行ったことはある。
なにを頼めばいいか判らないので、フォーという麵スープを頼んだが、
出前でのびたラーメンみたいだ、とおもっただけで、それよりも出て来た赤ワインがフランスのもので、おいしくて、ベトナムって、意外な国なのかも知れないな、とおもっただけの記憶がある。
通りに面したハイチェアで、春巻とマティニで、ドギマギの続きで、気取れはしなかったが、やっと人と一緒にいる、という気持ちになってきたのが、憲郎には有り難かった。
それにしても、おれの英語!
われながら情けない。
難行苦行で、込み入ったことですらないのに、なんども聞き返されて、めげるしかなかった。
聞き返されるたびに発音のヘンテコリンを咎められているような気がする。
ああ、つらい。
日本の英語教科書は、全部焚いて、日本の高校英語教師は、みんな竪穴に埋めてやりたい。
このつらさ、晴らさでおくべきか
それでも向かいに座ったアンジーさんは、いまや聴き取りの努力に疲れ果てたせいで、憲郎にはひとことも判らなくなった英語で、早口でまくしたてている。
声がいいせいで、音楽のように聞こえなくもないのが救いだが、なにしろ憲郎の脳髄に到着する英語は意味が伴わないので、眠くなるのが欠点だった
それにしても、アメリカの人は、どうしてこんなに喋るのか。
次に来るときがあれば、そのときは、三船敏郎スタイルを身に付けてくるのがいいのではないかとおもう。
うむ。
いや。
拙者はindispensabilityなどという長たらしい言葉は聞いたことがござらぬ。
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