彗星を見に行く
コーヒー、よおーし
コート、よおーし
双眼鏡、よおーし
モニさんが日本で見て、説明を受けて、すっかり面白がっておぼえた「指さし点呼」で、持っていくものの確認をしている。
カメラは、別に要らないよね、iPhoneで十分だろう、と簡単に一致を見て、三脚もカメラも持っていかないことになったのは、モニさんはプロも真っ青になる写真の腕前だが、最近はソーシャルメディアを初め、インターネットに氾濫する画像に食傷気味で、「写真を撮る」ということの優先順位が、ぐっと下がっている、ということもあります。
ふたりで本を書いたり、絵を合作したりするのは楽しい遊びだが、写真は、まあ、暫くはいいや、ということになっている。
アトラス彗星が最も見えやすいのは、黒い砂で有名なピハ・ビーチのあたりで、北東の細い首のような場所にあるオークランドの西岸にあたる。
地図でみるとオニハンガあたりだと、東岸から西岸まで1.5kmほどしかなくて、運河かなにかありそうな気がするが、なくて、船で行くと北島の北の突端を回っていかなければならないので、まる二日かかる上に、カイタイアを回る辺りからの海は荒れるので有名な海で、50フィート以下の船だと命がけで、自然、クルマで行くことになるが、これはこれで、曲がりくねった道が続く一時間ほどの行程で、たいそう不便です。
で、ちょっと行ってみるか、というよりも、
コーヒー、よおーし
コート、よおーし
双眼鏡、よおーし
になる。
モーターウェイで途中まで行くが西側は道路が少ないので有名で、半分も行かないうちにモーターウェイを下りて、グレートノースロードという昔からの道を行く。
日没は7時40分なので、だいたいに見計らって7時半に出る。
モニもわしも「待つ」ということが苦手なので、なんだか五時くらいから、そわそわしていて、
腰を据えてなにかやるというわけにはいかない精神状態になっているので、問わず語らずラウンジにやってきて、家の人がもってきてくれたお茶とキャロットケーキをトルコで買った遊牧民の折りたたみ式のお茶用テーブルを広げて、楽しみながら、テレビドラマシリーズのCriminal Mindsを見ることになった。
知ってますか? Criminal Minds
世界的な大ヒットシリーズなので、日本でもやったとおもわれる。
なにしろ、ほとんど無名だったレギュラー出演者たちが、この18シーズン354エピソード続いた人気シリーズのおかげで、食えてしまうばかりか、富裕な生活を送れるようになったドラマで、
観たことがある人なら知ってるとおり、アメリカ人が日常暮らしていて、不断に感じている恐怖、
「公園での朝のジョギングで突然藪に引き込まれて性的暴行の犠牲者になる」
「夜、ひとりで住む家に帰宅したみたら、侵入者が潜んでいて、抵抗して刺殺される」
シリーズが進むにつれて、犯罪捜査ドラマというよりはホラードラマの趣が濃くなってきて、
「ほんとに、こんなのテレビでやっていいの?」と訝しくおもうような残虐シーン、バラバラにされて、ウインドチャイムを作る為に肋骨が抜きとられた被害者の胴体、頭にナイフはブッ刺すは、眼はくりぬいちゃうわの残虐さで、まだオークランドの家に住み始めたばかりのころ、
毎晩、きゃあああ、くわああああ、ひええええ、と叫んでクッションを投げ合ったり、長枕を抱きかかえてカウチの上で転げ回ったりしていたなつかしいドラマです。
「SHOGUN」を観るために、しぶしぶ加入したDisney+のラインアップのなかにあって、また見始めている。
Amazon PrimeオーストラリアにはCold Caseがあって、こっちもひさしぶりに観て、「あんたみたいな弱い男は、わたしみたいな従順でない女が耐えられないのよ。どう、くやしい?ざまあみろだわ」のハードボイルド刑事
Lily Rushが画面を闊歩する、フィラデルフィアが舞台の、暗あい、救いのない、現代世界がどれほど不公平で弱い者に残酷な世界かを、これでもかこれでもかこれでもかあ、と描きだすシリーズに、どっぷり帰還してしまっているので、なんのことはない、14年前、新婚オークランド生活を始めたころのテレビ番組を両方また見始めていて、時計の針をビビビビと巻き戻して、モニさんとの長かった新婚生活をまた再生活しているようなもんです。
エピソードをひとつ見て、もうひとつちょっと見たかったが、まあ、我慢して、出かけることにしました。
真っ暗な、曲がりくねった道を走っていると、クライストチャーチ郊外の「農場の家」を思い出す。
ニュージーランドのオープンロードは、悪いところが連合王国に似て、事故が起きるように起きるように、あたかも運転者の交通事故死を願ったかのようにつくってあるので、コーナーでは、ググッとブレーキを踏んで減速して、反対車線からいつクルマがセンターラインをはみ出してきてもいいように、あるいはアンポンタンなドライバーが、イエローラインをシカトして反対車線を追い越しのために驀進してくる可能性を考えて、というような、いくつかの「オープンロード」を運転するコツがあるが、観光客を中心に、よくサインや柵を突き破って谷底へ落下したり、他のクルマにボディスラムをかまして、本人は上下逆さまに、亀の子返しに、ひっくり返っていたりする。
ハイビームのまま後続してくるクルマや、妙に近付いてくるクルマは、相変わらず存在して、
相変わらずだなあ、とおもうが、こういうときのためにデッカイクルマに乗ってきているので、気分は、ぶつけられるもんならぶつけてみい、なので、特に嫌だというほどでもありません。
見晴らしのいいコーナーの、道路脇に駐めて、西へひらけた海を観ると、残光が靄を照らしていて、一目で、「こりゃ、あきまへんな」と考えたが、モニさんは、一時間は待ってみたい、というので、コートを出して、モニさんに着せて、自分でも着込んで、もう初夏だとは言っても夜は寒いウエストオークランドの気候に備えます。
インドの女の人が、話しかけてきて、iPhoneの画面を見せて、これが彗星だろうか?と訊いている。
どれどれ。
違うようですね。
光の条じゃないかな。
場所はね、どうやら、もう少し上のほうに出るようですよ、と述べると、
横から三脚にキャノンの一眼レフの、完全装備の中国の女の人が彗星発見用のappに映る、想定の彗星位置を示して、「ほら、この辺ですよ」と空のなかの位置を示してあげている。
そのあいだ、わしは、なぜかヘッドライトを付けっぱなしにしている後ろのクルマに歩いて行って、
「ヘッドライト、消してね」と言いにいく。
運転手のインド系にーちゃんは、おとなしくヘッドライトを消しています。
「女房は」と言って、さきほどのインドの女の人を指して、
「今日くらいしか見えるチャンスがない」というんだけど、見えるのだろうか。
無理なんじゃないかな、と仕事が終わってから動員されたことに不満そうです。
さあ、と応えるが、内心では、まあ、無理でしょうね、と考える、わし。
一時間半ほども待って、黙って初夏の美しい海を見つめて、モニさんが満足すると、
また曲がりくねった道を運転して帰って来ました。
出かけるときには、中東人たちがやっているハンバーガーショップは午前4時までやってるから、あそこに寄ってひさしぶりにハンバーガーを食べようと、「彗星ミーティング」で決めてあったが、いつものこと、いざ帰るとなると、面倒くさくなってしまった。
結婚生活も長くなったので、特に言わずとも、以心伝心、一応、ダブルチェックで、
「ハンバーガー、いいよね」
「うん、要らない。家に帰ろう」
と一決する。
アトラス彗星がやってくるのは8万年にいちどだけど、その時代のモニさんとわしは、やっぱり見に行こうとするだろうか
それとも、戦乱に戦乱を繰り返して、核で荒廃した町を、地下シェルターから出て来て、眺めて、
人間はどうしてこうバカなんだろう、と寂しい気持ちで考えているか。
いや、80年ではなくて8万年なのだから、種としても変化したモニわしは、すでに言語も失われた脳に映る、茫漠とした空にひとすじ光る彗星を観て、恐れおののいているのかもしれない。
モニさんはAIがAGI、ASIと知力の階梯をあがっていくと、人間には到底自分の考えは判らないと諦めて、対人間用の巧妙な嘘をつくようになって、一方ではこの地球上に高い知能を持っているのは自分だけという孤独に耐えられなくなって、ゆいいつの解決として、持てる限りの核ミサイルを発射し尽くして、完全に世界を破壊するのではないか、と疑っている。
AGIなどは見通しとして、もう二年もあれば出来てしまうので、自分たちの目で見える形で、「人間よりも知能が高い存在」と出会う可能性は高い。
そこが世界の終わりの始まりなの?
とモニは訊くが、
それは、わしには判りません。
もちろん、モニさんの頭にはトランプが泡沫候補でないどころか、ハリスとデッドヒートを繰り広げている、やや現実離れしたアメリカ社会の現状があるのでしょう。
アメリカ社会で少女時代を過ごしたモニさんと異なって、アメリカなどは、モニさんと会えたという別格のボーナスは別として、遊び呆けたり、オカネをつくるのに楽だったりしたほかは、なんの縁も興味も感じないわしは、なんとなく大丈夫なことにして、「困ってから考える」という、モニがいつも笑う、ガメ式安全保障しか思いつかない。
やれることをやっていくしかない、と、無能なおっちゃん然とした応えを口にして、自分でも噴きだしてしまいながら、家まで帰ってきました。
ドライブウェイを抜けて、車庫にいれるのもめんどくさいので玄関のポーチの前に駐めたなりで、家に帰って、モニさんに、ぶっちゅーとでっかいキスをしてから、ホビー部屋に行って、午寝用のベッドに仰向けに横になる。
なるようにしかならんわ、と無能おっちゃん科白を、もういっぱつ。
エラソーにいうと手は打ってあるが、ここから先は、どんな予想外の事態が起きても不思議ではない世界が待っている。
とりあえず、トランプの、あの厚化粧の徹底的にタッキーな顔がいちども目に入らない日が来るのを祈ってます。
現実のオカネの問題としては、混乱は常に富をもたらすのでトランプ大統領になったほうが楽に「儲かる」のは確かだが、トランプが君臨する世界でオカネが儲かったって、仕方がないだろう。
やれやれ