疎にして漏らさず
10日ほど前、近くの鎮守の森でウグイスの初音(はつね)を聞いた。しかしその姿は見つけられなかった。数日後、朝の散歩の公園でも声が聞こえた。しばらく発声源を捜索したがどうしても見つからない。不思議な鳥だ。
何かと落ち着かない世情ではあるが、粛々と季節は移ろう。一昨日ようやく私の住む界隈でも桜が開いた。冬が過ぎて春が来たらしい。何だか嬉しい。目は痒くてくしゃみはひどくても、春の訪れは嬉しい。
そんな春の街を歩いていて、イラっとさせられるのが "犬のうんち放置" だ。前にも note に書いたが、これが無くならない。朝夕の散歩コースで週3つほどは新作が現れる。私は鳥や木をよく見るので、視線は上に向きがちだ。散歩中に細君が突然 "ドーン!" と私の体を強く押す。
それは私が路上のうんちを、今にも踏む瞬間だ。細君は「何で下を見て歩かないの?」と疑問形で非難する。私は「何故なら木にとまっていた鳥を見ていたからです。」とは返さず「ごめんなさい。」と謝る。と同時に「こんな所にうんちを放置しやがって!」と見知らぬ不届き者に毒づく。
放置されたうんちは靴で踏まれ、雨で崩れ、陽に干され、そして風に散る。
"犬のうんち放置" はいったいどんな人がやっているのだろう。「悪いこと」だとか「誰かが踏むかもしれない」とは思わないのか。きっと分かってやっているのだと推測する。キョロキョロと周囲を見回し、見られていないのを確認してコソコソと足早に立ち去っているに違いない。
この悪質な行為は、愛犬の尊厳を傷つけ、街を汚し、踏めばその靴の価値を著しく落としめる明らかな犯罪行為だ。何とか罪に問えないものか。
以前私は10ヶ月間中国で暮らしていた。平日は馴染みの日本料理店で晩酌と夕飯を取り、アパートまでの1kmほどを毎日歩いて帰った。遅い時間のこともあったが、一度も怖いと思ったことは無かった。帰り道の歩道にはたくさんの監視カメラがあるため「めったなことは起こらないだろう。」という安心感があったからだ。
現在中国には約2億台の監視カメラが設置されているそうだ。ちなみに日本は約500万台だという。中国のそれは、プライバシーにまで踏み込む行き過ぎた監視だとか、反対勢力の弾圧目的に使われるとか負の側面もあるのだろうが、社会の安寧と犯罪抑止への貢献は確かにある。中国の監視カメラのネットワークを "天網" という。
「天網恢恢 疎にして漏らさず」(てんもうかいかい そにしてもらさず)
は老子の言葉。
私は日本での監視カメラ設置拡大には基本賛成する。私自身は誰に見られても何らやましいことはない。冤罪や言いがかりに巻き込まれないように、むしろ監視カメラに収まりたいくらいだ。監視カメラに反対する人は、いったい誰の人権とかプライバシーを守りたいのだろう。
残念ながら、お行儀の悪い人はこれからも存在し続ける。そんな人たちも見られていれば悪さはしないし、罰則があればもっと抑えられるだろう。こんな確信犯の不届き者に、"天道" は厳正に "天罰" を下してほしい。
そして最後に‥ 巨悪を働くあの狂った独裁者を、天網は決して漏らさないことを願う。
< 了 >
P.S. 私は "犬のうんち放置" について書くと、どうも興奮しがちだ。世に軽犯罪はいろいろ。"無人販売所のみかんを無銭持ち去り" "コンビニでコーヒーMサイズを買ってLをドリップ" 等々。この2例は犯人が逮捕され、全国ニュースにもなった。しかしどちらの事件も犯罪の抑止に目をつぶり、出来心を刺激する雑な売り方をする売り手側の責任も大いにある。それに比べて "犬のうんち放置" は "卑劣さ" "姑息さ" など、ただただ個人の悪い部分の発露だ! 街の美観と衛生を損ない、善良な市民が害を被る "悪臭地雷" だ! あぁ、また興奮してしまった。これを無くすには監視と罰則しかないと思うがいかがでしょう。