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潔く生きる "Be a good loser"

以前私の作文で、前アメリカ大統領のトランプ氏の ”往生際の悪さ” について書いた。大統領選における自分の敗北を認めず「選挙に不正があった」と広言し、煽られた支持者が議会に乱入するという暴挙にまで発展した。およそ民主主義を牽引する国の出来事とは思えず、驚きそして呆れた。

トランプ氏はこれまでの慣例であった新大統領の就任式も欠席し、”しこり” を残したまま退場していった。”しこり” は個人的なものだけではなく、トランプ政権下のアメリカで生まれたたくさんの分断の中でも顕在化した。異なる人種、階層、宗教、主張が並存する絶妙なバランスは崩れ、融和は今や遠い理想となってしまった。

※ジョージア州で新たに可決された新選挙制度などは、黒人の投票行動を抑制する企みがあからさま過ぎて驚く。共和党が強い他の州も追随するのか。

話がすっかり逸れてしまったが、今日書こうとしたのは、”敗者の美学” 的なことだった。トランプ氏は選挙の負けを最後まで認めなかった。まるで欲しいおもちゃの前で駄々をこねる子供のようだった。トランプ氏の主張は信じ難かったし、希望は叶うことのない ”無理スジ” だと思われた。アメリカ人はどう受け取ったのだろう。

 アメリカ人のメンタリティーに明るくはないが、野球やゴルフ、ボクシングなどスポーツでは、敗者が勝者を称える清々しいシーンが普通に見られる。今回の「絶対にオレの負けは認めない!」「バイデンを祝う気持ちなんてこれっぽっちもあるもんか!」「オレは諦めない、次を見てろ!」という振る舞いがどうしても理解できない。またそれに追従するアメリカ人がたくさんいることも驚きだった。

それら言動は、アメリカのスポーツや、キャプラやイーストウッドの映画から抱いていた私の思う ”アメリカ人” からかけ離れたものだった。私が誤解していたのか、アメリカ人が変わったのか、トランプ氏やその支持者が特別な人達だったのか。

トランプ氏はずっと普通ではなかったが、最後だけでも ”good loser" であって欲しかった。その上で捲土重来を期すべきところを、 ”worst loser” は火種ばかり残して去っていった。

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”Be a good loser”  ”良き敗者であれ”  ”潔くあれ”    果たして私はどうだろう。自粛生活で無聊の中、サラリーマンの現役時代を振り返っては、あれやこれや始終考えている。

「ああしとけばよかった」「あんなこと言わなきゃよかった」とか。「せっかく中国勤務で延長戦が始まったのに、まさかのコロナで雨天中止になるとはな~  俺って不運だよな~」「まだできることあったのにな~」とか。時には過去の理不尽な出来事を思い出して、憤ったりもしている。これはこれで潔くない。気がつけば別の種類の ”bad loser" になっていた。もうとうに試合終了の笛は吹かれているのに。ああ、情けない。

そうだ。せっかくこの note に公開の場があるのだからここに宣言する。私は本日を以って "bad loser” を返上する。勝者にはなれなかったが、ここまでの人生はそれほど残念な感じでもなかった。後悔ばかりして、残り少ない余生の貴重な時間を無駄にしてはいけない。あるべき姿とやるべき事をはっきりさせて、それに向かって進むことだけに集中しよう。生きている限りは何かを照らし続けねばならないのだから。

トランプ氏の ”往生際の悪さ” を書こうとしたら、私の ”未練がましさ” の話になってしまいました。書くことは考えること、自分を見つめ直すこと。note の効用でした。

< 了 >



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