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かろうじて続く

かれこれ1年半。かろうじて週一回の note 投稿を続けている。

普段の生活で目にしたこと気になったことがあれば、そのタイトルやキーワードを note に書き留める。金曜日にそんな下書きの中からひとつを選んで肉付けする。そして土曜日に推敲してから投稿するのが普通のパターン。

今回も金曜日に下書きを確認した。「新米老人のご法度」「事なきを得る~老老介護」「忘れるに備える~大阪」「関西人って‥」「枯れない才能」「古き良きゴルフ」(いずれも仮題)などがあったが、何だかどれも書く気にならない。

いかん。また始まったようだ。3ヶ月に一度ぐらい発症するあれ。
「オレは何で知らない人に向けて文章なんか書いてんの病」だ。

一年ぐらいで投稿を止めてしまう noter さんが多いと聞いた。よく分かる。きっと "一人よがり感" に苛(さいな)まれた末に止めてしまうのだろう。

note には素晴らしい感性と経験と知識をお持ちの方が大勢いる。そういう方々が吐き出す言葉や文章は示唆に富み、読み手に感動と啓示を与える。

「それに引き換え自分の記事は‥」としばしば思う。少し前に「私の note は "老人のボヤキ" に徹しよう」と書いたが、全然腹を括(くく)れていない。拙い知識や乏しい経験を大きく見せようとしたり、"幸せ感” を盛る傾向も垣間見える。そんな自分に気付いては滅入る。

note は続けたい。続けなきゃいけない。止めたらただでさえ薄い社会との接点をまたひとつ失うことになるし、日本語能力の低下も心配だ。

何とかせねば。こんな症状に効く良い頓服はないものか。
ひとりカラオケにでも行ってみようか。 今日の記事はマーキングまで。

< 了 >

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