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褒められたい 認められたい
老人にとって大事な日々の心構えは、退化をできる限り抑制しようとすることだ。甚だ残念なことではあるが、年齢とともに体力、知力は確実に退化する。その事実をしっかり受け止めて、抑制策を講じる。そして少しでも退化を遅らせることが肝要だ。
人間は物心つくや、さまざまな勉強を強いられる。生きるために必要な知識、体や手先の使い方を覚えていく。学生時代だけでなく働き出してからも、足りない知識や技術は補完し続けることになる。
人は何故頑張って勉強するのか考えてみる。まずは勉強によって獲得した知識や技術は役に立ち、それによって生き易くなるから。また勉強によって空白域が充足されることで頭がすっきりするから。そしてもう一つの理由は、褒められたいからだ。
学生時代は成績が上がったり、絵が上手く描けたりしたら、先生や親から褒められる。会社で実績を上げれば、給料がアップしたり役職が付いたりと何らかの処遇がある。すなわち褒めてくれる。
頑張ってまとめた資料を上司から「要旨が簡潔にまとまっていた。分かり易くて良い資料だったよ。」などと褒められた日にゃ、一瞬で苦労も吹っ飛んだものだ。
1才8ヶ月になる孫も褒められることが大好きだ。褒められると大人にはできない心から幸せな表情で笑い、積み木を積む、歌を歌う、ご飯をいっぱい食べる。そう、みんな褒められたくて頑張り、褒められたら喜ぶんだなー。
今の私はと言うと‥ 現役を引退したこの前期高齢者が褒められることはほぼ無い。顧みるに私が今していることは、朝夕の散歩にしても、この note の作文にしても、真剣にゴルフに取り組んでいることも、"新たに何かを獲得する為" ではなく "今持っているものを失くさない為" の努力だ。言い換えれば、自分の "退化抑制策" ばかりだ。
"無為無益" そんな言葉が浮かんでくる。"アンパンマンのマーチ" じゃないが「そんなのはイヤだ!」。これじゃあ誰からも褒められる訳がない。コロナが明けたらにすぐに動かなきゃ。はい、今いろいろ準備を始めています。
少し前に細君から指摘されたこと。それは "私が自分でやったことに対して、私自身が真っ先に褒めがち" ということ。
私はしばしば料理をする。パスタとカレーと麻婆豆腐は私の担当ということになっている。それら自分で作った料理を食べ始めて、誰よりも早く私が「ウッマ!」「この味はなかなか家では出せんやつ」「これが家でできるなら外食する必要ない」などと言う。典型的な自画自賛。
他にも細君の仕事の集計業務を手伝い、そのまとめ資料を作って「これは判り易い資料だ。プロの業だね」と言い、note の草案を投稿前にチェックしてもらいながら「面白いでしょ」と繰り返し問う。こういうことらしい‥
全て思い当たる。どうも "褒められ" に渇き切ってしまい、欲しがり過ぎていたようだ。私の理想とする "含蓄に富んだ老人" からはどんどん遠くなっている。ここで自らを戒めて、方向修正しなければならない。
ああ、結局今日も反省の回になってしまったようだ。
P.S. note でいただく「スキ」は、今の生活では数少ない "褒められ" です。
↓ 私の料理。誰か褒めてくれるかな。
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