知らないを知る
金木犀の香りが好きだ。世の中で私が一番好きな匂いかもしれない。それが先週ぐらいから私の街にも満ちていて散歩が心地よい。
「秋の日は釣瓶落とし」とはよく言ったもので、このごろの日暮れは一気に暗くなる。そしてスーっと温度が下がる。
金木犀が終わると年末へのカウントダウンが始まる‥ 毎年そう感じる。
2022年のちょうど半分が終わった7月2日に「2022年前半を振り返る」なる記事を note に載せた。そこで私は不甲斐ない自分を嘆いた。そして自分を「向上心はあるが意思の弱い前期高齢者」と定義し少し反省した。
更に3ヶ月を経過した現在はどうか。うーん‥ 何ら改善は見られない。相変わらず「守れていない」「進んでいない」「向上していない」「衰えている」の自己評価が並ぶ。もう詳細は書きたくない。
8月に生まれた孫③(♀)に率先してミルクをあげていることと、アジフライ用に鰺の三枚おろしができるようになったことは数少ない進化だろう。
note 週一投稿は何とか続けている。だが誰を激励するでもなく、示唆や啓蒙とは無縁の "ボヤキ" ばかりの記事を続けていいものか。最近の私は "老人のマイナス思考" を note に書き散らかしている。
先週私が好きな noter さんが「無知の知」という言葉を note に書いていた。ソクラテスの説いた概念だそうだ。私は知らなかった。その教えは、
「自分がいかに分かっていないかを自覚しなさい」
「『知らない』ことより『知らないことを知らない』ほうが罪深い」
というもの。
<お詫び> 本来その方の記事を紹介すべきなのでしょうが、連絡の仕方が判らず無断引用しました。〇〇さま、どうぞお許し下さい 🙇
現役で働いている時はたくさんの人と接していて、複雑で多種多様な案件と日々向き合っていた。その頃は他人の行動や言葉から「ほっほー!」「知らなかったー」「そうだったのかー」ということは頻繁にあった。
自分の "足りなさ" "至らなさ" に気付かされ、否が応でも不足部分を補完せざるを得なかった。そうやってひとつずつ何かを身に付けてきた。
仕事を辞めてほぼ引き籠っている現在はと言うと‥ 実に何も起こらない。今の生活は「知らない」ことに気付き難いし、「知らない」が切実な問題にもならない。特段の不便も感じないまま時は過ぎていく。すっかりこなれ切った関係の古い友人からは「ほっほー!」みたいな気付きは一切無い(もし読んでいたらごめん ! )。
このままでは「知らないことを知らない」状態が続き、知識も思考も退化の一途をたどるに違いない。
いろいろ考えていたら結局今日も反省に行き着いた。私は多分 "なりたくない老人" への道を進んでいる。私は反省ばかりしているが反省は何度でもする。"あるべき姿" "なりたい自分" に向けて方向修正しよう。2022年はあと2ヶ月半。何か結果を残したい。
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マイナス思考の老人のボヤキ、今日も最後までお読みいただき恐縮です。
最近この類の記事を連発しましたが今後は控えます。これからも主題は変わりませんが、"明るいボヤキ" に衣替えしていくつもりです。
< 了 >
P.S. 私の奥さんは B'z が大好きで近県の LIVE は必ず参加しています。
本物だけでなく、ブラマヨ小杉さんのパロディ LIVE まで出掛けて行く始末。
そんなふうに楽しそうに生きる彼女を見習いたい。