魅力的なclusterワールドはその価値を正当に認められていないという考えと、コミュニケーション主流の現況への懸念
ヘッダーはhumiさんの激エモ綺麗まち v2.3で撮影
先日ワールドクリエイターの人と話していて思ったこと。ここに書かれている内容は非楽観的・非理想的な見方であって悲観的・現実的な視点ではないこと、データや聞き取りによって得られた見解ではなく主観による印象・想像が多数を占めていること、書かれている内容を深読みしたり曲解したために趣旨から外れた批判をされても僕は正面から取り合わないことに注意の上で読んでください。
clusterワールドに魅力はあっても価値はないのではないか
ユーザーが重視するのはワールドではなく人
clusterのワールドには様々なものがある。美しいもの、楽しいもの、くつろげるもの、初々しいもの。ワールドの数だけ魅力はたっぷりある。だがそれに見合う価値がユーザーや運営に認められていないかもしれない。
clusterのユーザーの多くは「ハレとケ」のケに於いて他のユーザーとのコミュニケーションを求めてclusterへログインしていることだろう。その場のみんなで一斉にワールドを巡る文化がほとんど無く、ヘビーユーザーほど当人にとって居心地のいいワールドに固着する(必ず同じワールドに根付くユーザーがいれば、複数のワールドをお気に入りの訪問先とするユーザーもいる)。以下、ユーザーらが交流を求めて滞留するワールドをコミュニティワールドと呼ぶ。
コミュニティーワールドの多くはそのワールドの作者に紐づいており、作者や作者の人柄を中心としたコミュニティが円状に形成される。そのため当該ワールド作者が不在であるコミュニティーワールドの成立とその存続は極めて稀と言える。ここで重要なのは“人”の存在であり、“ワールド”の様態は居心地に関するもの以外ほとんど重要でない点である。高価なアセットや作者自身がモデリングした内装が配置され意匠に凝ったワールドであろうと、無料でダウンロードできる素材を組み合わせた簡素なワールドであろうと、“人”がいればそこへユーザーは来訪するし、“人”がいなければそこへユーザーは来訪しない。ユーザーがclusterのケで求めるのは“人のいるワールド”であり、そこで交流が行われたりそこが交流のきっかけにならない限り“魅力的なワールド”は必ずしも求められるものではない。
価値が認められるのはワールドではなく人
clusterというユーザーあってのサービスにおいて、ユーザーの選ぶものにサービスは重きを置かねばならない。ユーザーの求めるものに大きな価値があり、サービスはその価値を提供し続けることでユーザーは満足し、サービスが潤う。ユーザーはclusterのケで交流のできる場:コミュニティワールドを求めており、それらに大きな魅力を感じている。したがってサービス側もコミュニティーワールドに大きな価値を見出し、コミュニティワールド(やその運営者=作者)の成立と維持に向けて今後サービスを改善していくと思われる(まだその動きは見られない)。
将来的にワールドクリエイターへ経済的報酬が提供される=ワールドの収益化がなされることを考えた場合、その評価指標は「ワールドの訪問者数・評価数・滞在時間」などの“数値化可能な価値”になると考えられる。一方で「ワールドの美しさ・楽しさ・こだわり」などといった数値化不可能な価値は重視されないのではないか。数値化不可能な価値で評価しようとするとどうしても人力で主観的・不公平な判断に頼らざるを得ないため、自動で換算される数値をワールド収益の評価指標にしたほうが断然にコストがかからない。
デジタルプラットフォームの最優先事項は、如何に自社のプラットフォームへユーザーを滞在させるか、ユーザーの可処分時間をどれだけ奪えるかである。clusterもその例外ではなく、メッセージ機能やワールドカテゴリの閲覧がアプリケーション内でしか利用できないのもこれが理由のはずである。したがって一度発生するとずっと続いてしまいがちな“コミュニケーション”とそれを提供する“コミュニティワールド”はユーザーのプラットフォーム滞在時間を可能な限り引き伸ばすため、サービスとして多大な価値を認めざるを得ないと思われる。そしてその価値基準はどれだけユーザーがやってきてそこへ滞在したかであり、ワールドの内容がどうであるかは全く加味されないだろう。
如何にしてコミュニケーションがケのメインコンテンツとなるか
コミュニティワールドや歓談を目的としたワールドにのみ価値があり、それ以外のワールドには価値がないという見方はあまりにも冷淡で残酷に読めるかもしれないが、しかしclusterというプラットフォームとそこにログインするユーザーの性質上これは避けることのできない問題であり、いずれ誰もが無視できないほど先鋭化が進むだろうと私は考える。clusterとそのユーザーの性質とは「ゆるい没入」であり、それに起因する問題が「深い体験を望めない」ことである。
clusterではユーザーの大多数がスマートフォンかデスクトップでログインしており、VRでログインしているユーザーは少数派となっている。このため現実世界で何か作業をしながら仮想世界に耳と脳と口だけ置いて会話をするといったことが可能だ(逆にVRユーザーは基本的にcluster以外へ意識を向けることができないので没入度と深い体験への意識が高い。これは他のプラットフォームに於いて同様)。勉強や仕事や家事といったタスクの他に自主制作や読書など趣味のかたわら会話に参加するという光景は非常によく見られる。スマートフォンやデスクトップは現実空間と仮想空間の心身が完全に同一化しないがために「ゆるい没入」を可能とし、ユーザーは適度な没入度で“ながらメタバース”ができる。これ自体は他のバーチャルSNSプラットフォームとの差別化になり、歓迎すべきメリットである。
しかしそれと同時に「ゆるい没入」はあまり歓迎できないデメリットとしても捉えることができ、それが先述の「深い体験を望めない」問題を呼び起こしている。「ゆるい没入」は裏を返せば「没入度が低い」ことであり、様々な人とワールドに満ちた世界でより深く没入することが難しくなる。もちろんVRユーザーであろうとそうでなかろうと「深い没入」を意識し「深い体験」を望んでログインすることは可能だが、周りがみな耳と脳と口だけ置いている「ゆるい没入」ユーザーの中で自分一人だけ熱意を持っていても冷めてしまう(ことを僕は何度も経験している)。「ゆるい没入」のユーザーの目と手足は現実世界に置かれており、彼/彼女らを別のワールドへ誘ってみても何か別の作業をしていることが多いためあまり招待が成立しない。これが原因で、clusterにはみんなでワールドを巡る文化が根付いておらず、ゲームワールドが遊ばれにくい一因でもあるとされる。また「より深い体験をみんなとしたからったらVRCへ」というユーザーの流出もclusterユーザーの多くが「ゆるい没入」に留まっているためであろう(VRCではVRユーザーが多数派であるため「みんなと深い体験」ができる)。clusterのケに於ける楽しみ方がコミュニケーションに終始してしまうのは非常に勿体なく、クリエイターとしてはもっと多様な体験をユーザーにしてほしいものである。
なおスマホ/デスクトップユーザーで耳と脳と口の他にちゃんと目と手足を置いていることが明確なユーザー=没入度と没入意欲が高いユーザーは自分のアバターをバタバタと動かす傾向がある(これは「私は仮想空間に頭と体をちゃんと置いています」という意思表示であると考えられる)。同じワールドにいる誰かをコミュニケーション以外の遊びに誘いたかったらVRユーザーやバタバタユーザーを狙ってみるといいかもしれない。
クリエイターとしてつまらない世界
新着ワールドは埋もれて当然
clusterでワールド作りを2年以上続けてきて、コミュニティワールドの評価数は伸びてもそれ以外の風景観光ワールドやゲームワールドなどの評価数が伸びない格差が日に日に増しているのを感じる。誰でもワールドを作って公開できるようになった初期の頃は、何か新しいワールドを公開しただけで好奇心から注目を集められたものだが、今やワールドが一日何個も新規公開されて当たり前になり、何の宣伝もなく投稿しただけでは新着ワールド一覧に埋もれるのが関の山である。新しいワールドの訪問者や評価の数を増やしたければ凝った宣伝や広い人脈を活かす地道な努力を必要とする厳しい世界に今後ますますなっていくことだろう。
これはユーザーとクリエイターの数が増えれば当然の流れであり、YouTubeに投稿された全世界の新着動画を一覧できる機能がないことと同じである。ユーザーがYouTubeで再生する動画は必ず「人気の動画」と「他人がおすすめしている動画(アルゴリズムによる推薦も含む)」であり、フォローしていないチャンネルが投稿したばかりの動画を見る機能やランダムな動画を見る機能は提供されていない。clusterに於いても、今は運営がピックアップしたり新着で人気のワールドがプッシュされているが、ワールドの新規公開数の増加やユーザーの多様化(運営の発信を全く見ないユーザー層の増加など)が進むことによって、無努力で新着ワールドがもてはやされることはなくなるだろう。
新しくclusterにやってきたばかりのクリエイターや、独自の人脈を持ち得ていないクリエイターには実に厳しい状況である。手間暇をかけて勉強したりアセットを選んで──あるいは自作して配置しても、運営のレコメンドに拾い上げられず公開後に案内できる知り合いがいなければ、ワールドの訪問者や評価数は泣かず飛ばずである。またいずれ新規ワールド投稿の絶対数が増えれば運営のピックアップに漏れるワールド・作者も増え、運営の主観的な選定に不公平さを覚えられることもあるかもしれない。そうなった折には、何のためにワールドを制作し公開するかを考え直すべきだろう。収益に向けてか、賞賛を得るためか、作ることが楽しいからか。ワールドが簡単に評価されなくなっていく今、クリエイターにはそれが改めて問われる。
賞賛と制限の順応か、自由と険路の独歩か
収益に向けてであろうと多数からの賞賛を得るためであろうと、なるべく多くの訪問者と評価数を稼ぐためには、ある程度は自分のやりたいことを制限して「こうすれば数字を増やせる」というセオリーに沿った制作をする必要があり、そして今のところそれは前述のとおりコミュニティワールドの形成に限られている。clusterのワールドで数字を稼げるのはコミュニティワールド一強という現況に順応するのだ。ただし、コミュニティの形成と運営・維持はワールドの制作より何倍もの苦労が絶えないことを想像する必要がある。自分の好きなものや苦労なくできる得意なことがそっくりそのまま他のユーザー大勢が望むものやことであるのは非常に稀である。多数の賞賛や収益を得んがために自分が望まぬことを強いられる苦労に耐えられるだろうか。
それら苦労を厭って自由な表現を貫きたいなら、数字による評価は期待できない。「評価や利益に縛られない自由な制作」を標榜として、フルスクラッチで地形や植生を自作し新しいサーバーが建てられる度に景色がランダムで様変わりような凝った観光ワールドを作ってはどうだろう。少人数でも大人数でも遊べる迫力満点の戦車戦がプレイできるゲームワールドを作ったらどうなろう。残念ながら今のclusterでは(コミュニティワールドと比較して)伸びないのである。それでも構わない、多数のユーザーから継続的に求められなくとも自分の創りたいものが創れれば満足できるという不屈の精神がなければ、ワールド制作のモチベーションはあっという間に折れてしまう。賞賛や儲けを気にしないと決めたなら、険しく舗装なき道を寂しく歩み続ける覚悟が必要だ。
ワールドを制作する前に、何を目的として何を望んでワールドを作るのかしっかり見つめ直す必要は必ずある。それが曖昧なまま「とりあえずワールドを作りたい」「何か作ってみたらいいことがあるかもしれない」という気持ちでワールドを制作することはモチベーションの低下につながるし、評価もついてこない。そして根本的な目的はまず「自分のため」であることを忘れてはならない。自分ではない、名前も顔もはっきりしない「誰かのため」に作り続けることは心を濁すこととなる。ものづくりには常に自己を本位とした目的意識が必要だ。
物の本質的価値ではなく、人の総合的能力で物が売れる時代
これはclusterに限った話ではないが、今の時代は物やサービスの本質的な価値よりもその提供者の外面的魅力を評価して消費者は購入を決める。物とサービスで溢れる現代は、どこで何を購入してもおおよそ同じ価格と機能に収斂している。そうすると「何を買うか」ではなく「どこで/誰から買うか」の選択が重要になる。インフルエンサーの発信するコンテンツは似たり寄ったりなので、「何のコンテンツを見るか」ではなく「誰のコンテンツを見るか」が選択肢になる。消費者は既に“コンテンツの内容や質”ではなく“コンテンツ提供者の印象や好感度”で選んでいる。
YouTuberやTikTokerらは“他と同じコンテンツ”を日夜キャッチして取り入れ、それと同時に“他とは違うキャラクター”を研究して演じるようになる。これらの活動を統括するのも個人である場合、一人または数人のチームのみでプロデュースから演技、撮影と編集、発信と外交を繰り返すジェネラリストとなる(事務所やプロデューサー、分業による制作スタジオが存在する場合は別)。これはそのままclusterにおいても当てはまるものであり、クリエイターとしてある程度の存在感と実力を発揮するには単なる制作スキル以上に自己管理力・発信力・信頼・容姿(アバターや声)・人柄などの外面的魅力も磨く必要が出てくるだろう。この点は昨年から流入の多いビジネスやNFT方面からのアプローチほうがよく弁えていたり、分業が成立しがちな印象を受ける。趣味の延長から十分な収益を上げられるまで制作体制を引き上げるのは困難である。
工芸職人のようにものづくり一筋で界隈をのし上がり大成することが難しくなり、ものづくり以外の発信力や魅力が評価されて選ばれるようになるのは、純粋にものづくりが好きで愉しみながらクリエイトに打ち込んでいる者からすると、なんともつまらない世界になるのだと思わずにいられない。しかし個人の発信力と制作力が上がり、集団のスペシャリストらと個人のジェネラリストがコンテンツで対等に渡り合える時代の中で、単純に制作スキル一筋で抗うことはとても難しいものだ。
clusterの楽しみ方や価値観念は多様であってほしい
私が切に願うのは、clusterの楽しみ方や価値観念はきっと多様であってほしいということである。ユーザーとしてワールドやイベントを楽しむときも、クリエイターとしてワールドやアイテムを作って発表するときも、画一的な楽しみ方/価値観ばかりで評価されてしまうのは多様性とダイナミズムに欠け、遊び場・稼ぎ場としても新しい価値や体験が生まれる機会に乏しいサービスであると思う。残念に感じるのは現在のclusterのケと現況から想像される今後のclusterのケで評価される価値は訪問者数と滞在時間を伸ばせるコミュニティワールドのみであり、それ以外の観光や鑑賞、ゲームや勉強ができるワールドはユーザーに価値を認められえない傾向がある。ユーザーが後者のワールドに魅力と価値を感じていたとしても、各々が常日頃から選ぶものにサービスは価値を見出している。
既に今のclusterのケに於ける楽しみ方はコミュニケーションへ固着化しつつあり、それはプラットフォームの特性上ユーザー=クリエイターの手によっては改善が困難であると感じる。デスクトップとスマホでのプレイが容易であるため別の作業をしながらワールドへ入室し、現実世界に集中するためワールド内で集中力を要する体験を避けがちになる。ではclusterに没入して楽しい体験をしたいと思った折にはケのワールドを飛び出してハレのイベントへ遊びに行く。多くのclusterユーザーはこの楽しみ方で満足してしまっており、その傾向を見た運営もこの体験を加速させる方向でユーザーとクリエイターそれぞれを後押しするのではないだろうか。
clusterに於いて主にゲームワールドを制作するクリエイターの私として、今もこれからもコミュニケーションが主流でワールドゲームワールドは遊ばれないという状況は困るしつまらない。クリエイターなりの考え方で現況を変えようという運動も起こせるが、ユーザーという立場やプラットフォームの特性から覆しえないものも大きい。願わくばどうか、ワールド訪問者たるユーザーは会話に終始するコミュニケーション以外の様々な体験を望んでほしい(もっとclusterのワールドに没入してほしい)し、運営もclusterのケに於ける様々な楽しみ方をユーザーへ周知してほしいものである。よろしくお願いします。
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