詩編3章/わたしを苦しめる者

前提として、詩編3章はおそらく名もなき個人が作成した詩をダビデ王に捧げたもの。
または、編集の過程でその作者がダビデに帰されたものである。

テクスト通りに読んだ場合でも、歴史背景を念頭に置いて読んだ場合でも、この詩編の"わたしを苦しめる者"は単に自分の敵である人間のことを指す。

「主よ、わたしを苦しめる者は どこまで増えるのでしょうか。
多くの者がわたしに立ち向かい
多くの者がわたしに言います 『彼に神の救いなどあるものか』と。」

詩編 3:2-3 新共同訳

この詩はまさに私たちの内心の惨めさについて嘆く。
神に従おうとする意志はあれど、それは歯向かう者たちに取り囲まれている。
善さに向かおうとする思いはあれど、それは藁のように弱々しいものでしかない。

わたしは、自分のしていることが分かりません。
自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。

ローマの信徒への手紙 7:15 新共同訳

人間は善に向かう際、途方もなく無力である。
向かおうと決意したところで、その決意は、他の誰でもないわたしの心の中で、あらゆる敵に取り囲まれる。

「主よ、それでも あなたはわたしの盾、わたしの栄え
わたしの頭を高くあげてくださる方。
主に向かって声をあげれば
聖なる山から答えてくださいます。〔セラ」

詩編 3:4-5 新共同訳

そのような我々が、仮に顔を天に向けるような生き方ができるとするならば、それは恩寵のめぐみ無しには不可能ではないか。

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