列王記上22章/打たれる羊飼い
・本章
北イスラエル王アハブはアラム人との戦争前に預言者たちの託宣を求める。
が、預言者たちは世俗権力の王に阿って勝利しか預言しない(6節)。
それに対して体制外にいる預言者イムラの子ミカヤは「主がわたしに告げられることをわたしは告げる」(14節)と言い、アラム人との戦争の敗北により
「イスラエル人が皆、羊飼いのいない羊のように山々に散って(17節)」しまうと預言し、また世俗権力に阿っているだけの宗教勢力を批判する(23節)。
体制宗教を批判したイムラの子ミカヤは無礼の故に「頬を殴られ(24節」、獄に繋がれる(26-27節)。
・キリストの受難
ゲッセマネの祈りの前に、キリストは「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく。
『わたしは羊飼いを打つ。 すると、羊の群れは散ってしまう』 と書いてあるからだ。」(マタイによる福音書 26:31 新共同訳)
と語り、裏切られ、逮捕され、弟子たちは皆逃げ出す。
そして世俗権力と結託した大祭司の前で自らについて語り、それを侮辱と受け止めた人々により
「イエスがこう言われると、そばにいた下役の一人が、「大祭司に向かって、そんな返事のしかたがあるか」と言って、イエスを平手で打(ヨハネによる福音書 18:22 新共同訳)」たれる。
無論、羊飼いが何を指すのかは異なる。
列王記上22章においては世俗権力北イスラエル王国の王を指すが、キリストの受難においてはそうではない。