サムエル記下 8章/肉の掟による祭司、命の力による祭司
・本章を一言で説明すると
ダビデ王はペリシテ人たちやモアブ人などと戦い勝利し、また様々な重臣たちを任命する。
・あらすじ
ダビデは西(ペリシテ)、東(モアブ)、北(ハマテ)、南(エドム)の敵と戦い勝利する。
また、彼は全イスラエルを支配し、そのすべての民のために裁きと恵みの業を行い。様々な重臣たちを任命する。
・心に残った聖句
本章はダビデが東西南北の敵と戦い勝利したとの記述が大半だが、今回読んで印象に残った聖句はこの箇所である。
なぜならば本章でダビデの息子たちは祭司に任命されているが、ダビデはユダ族出身であり(サムエル記上 17:12)、祭司職を独占するレビ族のアロンの子孫ではないからである(出エジプト記 4:14、民数記 3:10)。
本章はどう解釈すべきなのだろうか。
1.歴代誌で補完してこの聖句を解釈する場合
旧約聖書の歴史書をまとめ、再解釈したものとして歴代誌がある。
その歴代誌における本章の並行箇所を参照してみよう。
「サムエル記下においてダビデの息子たちは祭司に任命されているが、それは王の個人的な顧問や個人的な司祭を意味するのだ。」
これで一件落着…だろうか?
2.サムエル記と歴代誌の記述視点の違い
a.サムエル記
サムエル記は本章のみならず非レビ人が祭司の役割を果たす記述が多い。
⓵サムエル記下6章によるとダビデは契約の櫃をエルサレムに運び上げるのに失敗した後、それを三ヶ月のあいだガト人オベド・エドムの家に安置する(サムエル記下 6:10-11)。
契約の箱に関する仕事はレビ人のケハト氏族に独占されているが(民数記 3:27-32)、ダビデはそれをガト人、つまりダビデが戦ったペリシテ人ゴリアテの出身地(サムエル記上 17:4)、ガトの人に預けている。
②また、ダビデは契約の櫃を運び上げる際に、生贄を自分自身で捧げている(サムエル記下 6:13)。
生贄を捧げられるのはこれまたレビ族に独占される祭司の専権事項(レビ記 17:1-5)なのにである。
③そして最後に、キリスト者ならばおそらく誰もが知っているエピソードがサムエル記上には記されている。
重複するので引用は避けるが、ここでキリストが言及している聖書はサムエル記上 21:5-7である。
一つ一つの聖句やエピソードだけならばともかくとして、並べてみたならばサムエル記がどのような視点で書かれた書なのかがわかるのではないだろうか。
では歴代誌はどうか。
b.歴代誌
結論から書くと歴代誌はレビ族の祭司職を擁護する立場から歴史を解釈している。
①については、ガト人オベド・エドムはペリシテ人ではなく、ペリシテ人の街であるガト出身のレビ人であるとの解釈である。
歴代誌上 26:4-8で神に祝福された者、オベド・エドムはレビ人の系図に組み入れられ記述されている。
②については、ユダ族のダビデが生贄を直接神に捧げたのではなく、彼ら、つまりはレビ人の祭司たちが生贄を神に捧げたのであると記述されている。
③についてはそもそも歴代誌に記述されてすらいない。
祭司職はレビ人だけに限定されるとのモーセ五書との整合性を取るならば、歴代誌の記述が正しく、サムエル記における祭司職はレビ人に限定されたものではないとする立場は間違いか単なる説明不足と片づけてしまうのが良いのだろうか。
しかしながらレビ人でない祭司は既に聖書に登場している。
それは創世記に記されている祭司、レビ族でないどころかユダヤ人ですらないにも関わらず、唯一の神の祭司と呼ばれる人、メルキセデクである。
4.メルキセデクの祭司職
旧約聖書における司祭職には実は二つの種類がある。
一つはユダヤ人のレビ族のアロンの子孫に独占される血統原理のもの、もう一つがレビ人もユダヤ人も未だ存在しない時代に既に神の祭司であった異邦人、メルキセデクの祭司職である(ヘブライ人への手紙 7:1-10)。
5.永遠の大祭司であるキリスト
このメルキセデクの祭司職はキリストの予型として新約の書簡でも言及されている。
この考えを元に本章を解釈すると、ダビデとその息子たちはレビの血統による祭司ではないが、メルキセデクの系統の祭司だったのではないか。と思えてくる。