第二コリント 7章
マケドニア州に着いたとき、わたしたちの身には全く安らぎがなく、ことごとに苦しんでいました。
外には戦い、内には恐れがあったのです。
しかし、気落ちした者を力づけてくださる神は、テトスの到着によってわたしたちを慰めてくださいました。
テトスが来てくれたことによってだけではなく、彼があなたがたから受けた慰めによっても、そうしてくださったのです。
つまり、あなたがたがわたしを慕い、わたしのために嘆き悲しみ、わたしに対して熱心であることを彼が伝えてくれたので、わたしはいっそう喜んだのです。
コリントの信徒への手紙二 7:5-7
さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、 ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。
それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。
ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。
サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。
使徒言行録 9:1-4
本章においてパウロはマケドニアにおける苦しみと、それに対する慰めを語る。
その「気落ちした者を力づけて下さる神」は、テトスによりパウロを励まし、慰め、かつ、テトスが受けた慰めによりパウロも慰めを受ける。
当たり前だがパウロとテトスは別の人間である。
テトスが慰めをいくら受けようと、本来ならばパウロとは無関係である。
が、真に信仰で結ばれた共同体においては、全く別の個人の苦しみはわたしの苦しみであり、全く別の個人の喜びはこのわたしの喜びとなるのではないか。
これらはパウロの個人的な体験だが、それが普遍性のあるものと混じり合っているのではないか。
:この騒動が収まった後、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げてからマケドニア州へと出発した。
そして、この地方を巡り歩き、言葉を尽くして人々を励ましながら、ギリシアに来て、 そこで三か月を過ごした。
パウロは、シリア州に向かって船出しようとしていたとき、彼に対するユダヤ人の陰謀があったので、マケドニア州を通って帰ることにした。
使徒言行録 20:1-3
:シオンは言う。
主はわたしを見捨てられた わたしの主はわたしを忘れられた、と。
女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。
母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。
たとえ、女たちが忘れようとも わたしがあなたを忘れることは決してない。
イザヤ書 49:14-15
:信仰を共にするまことの子テトスへ。
父である神とわたしたちの救い主キリスト・イエスからの恵みと平和とがあるように。
テトスへの手紙 1:4
:一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。
あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。
コリントの信徒への手紙一 12:26-27