列王記上16章/血統原理と天命原理
列王記の構造は
A.統一イスラエルの南ユダ王国と北イスラエル王国への分裂とその歴史(列王記上1-16章)
B.エリヤとエリシャの預言者物語(列王記上17-列王記下9章)
C.南ユダ王国と北イスラエル王国の歴史と両国の滅亡(列王記下10-25章)
となっている。
列王記のメインストーリーは両国の歴史であり、かつ北イスラエル王国と南ユダ王国はそれぞれ異なる正当性の原理に基づく国家であった。
南ユダ王国ではダビデ朝が続き、その正当性は宗教に裏付けられた血統原理であり
北イスラエル王国では血統ではなく宗教に裏付けられた天命により正当性が付与される。
ではどちらが正しい原理に基づく国家なのだろうか。
1.天命原理
ダビデ朝の統一イスラエル王国はソロモン王の時代に分裂する。
北イスラエル王国の建国者ヤロブアムが天命を受けたからだ。
ソロモンは自王朝に正当性を与える宗教的原理に違反した。
これにより、労役監督官に過ぎなかった(列王記上 11:28)ヤロブアムは預言者から
「わたしはあなたを選ぶ。自分の望みどおりに支配し、イスラエルの王となれ。」(列王記上 11:37)
との言葉を受け、ダビデに繋がる血統ではなく天命により王となる。
天命原理により建国された北イスラエル王国はこの後も度重なる天命を受けた者があらわれ、次々と王朝は交代していく。
列王記上11章で神からの天命を告げられたヤロブアムは、14章ですぐさま自王朝の滅亡を主から告げられる。
万民が天命を受ける可能性がある以上、これは必然でもある。
北イスラエル王国を建国したヤロブアム朝は僅か二代で滅びさる(列王記上15:28)。
ヤロブアム朝は滅んだ。
が、天命原理が正当性を持つならば当たり前のようにそれは王朝を滅ぼした者にも適用される。
北イスラエル王国初代王朝ヤロブアム朝を滅ぼした二代目王朝バシャ朝もまた僅か二代で滅びさる。
勿論この頻繁な王朝交代は単に御輿が変わるだけには止まらない。
そこには当然のように族滅、根切り、内戦が伴う。
天命を受けた指導者が権力につき、それをまた天命を受けた者が打ち倒す。
この繰り返しが北イスラエル王国では続く。
この繰り返しが続く中、聖書における記述姿勢に変化が訪れる。
前述のように列王記はABCの三分構造であるが、B、つまりは預言者物語の中で語られる"天命"には次のような記述がある。
イエフ朝太祖イエフに天命が告げられる際のエピソードである。
もはや天命は神聖なるもの、畏れ多いものとしてだけは受け止められない。
それを告げるものは単なる狂人なのではないのか?
天命とは狂人たちの戯言に過ぎないのではないのか?
頻繁な"天命"の告げはそれを聞く者たちにこのような疑いを引き起こすのに十分である。
この天命に対するシニカルさが記述された後、北イスラエル王国の王朝交代は単に謀反としてだけ記述される。
「神の声を受けた」「民の声を受けた」「これこれが神聖な契約である」「これこれが民との契約である」
このように主張する天命を受けし者たちが頻繁にやって来てはあっさりと滅び続けていく様を見続け、ある種のシニカルさを感じない者は居ないだろう。
天命はもはや天命ではない。
列王記Cパートにおいて主は直接語らず、王朝交代は単に謀反の結果に過ぎない。
謀反が成功するか、失敗するか、単にそれだけの話でしかない。
天命は単に自己が権力を握る為に必要な人間という人的資源を集めるための笛の音に過ぎなくなり
そして北イスラエル王国は滅び去る。
2.皇統原理
南ユダ王国では、王朝の正当性は神との契約という宗教的な思想に結びついたダビデの血という血統に由来する。
ではこの原理が正しいのか。
いやそうではないだろう。
思い出す必要があるのは、北イスラエル王国という天命原理の国家が建設されたのは、ダビデの息子ソロモンが自王朝に正当性を与える宗教的原理にまさに違反していたからである。
そして現に血統原理に基づく南ユダ王国も滅び去っている。
3.神の原理
玉座に座り支配するもの、それを打ち倒し自らが玉座に座るものに滴り落ちるほどの恩寵が現れているのだ。
いや、そうではないのではないか。
これが正しいのならば、正義とはまさに強者に正当性を与えるためのもの
他人を打ち倒し、玉座に座る者の首を刎ね、また自分の首が刎ねられるものでしかない。
神の原理、つまりは正義や善が仮にそのようなものではないならば
それはまさに、最も小さく、最も弱いもののうちに現れるのではないか。
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