列王記下16章/「神を試みてはならない」

アハズはアッシリアの王ティグラト・ピレセルに使者を遣わして言わせた。
「わたしはあなたの僕、あなたの子です。
どうか上って来て、わたしに立ち向かうアラムの王とイスラエルの王の手から、わたしを救い出してください。」

列王記下 16:7

南ユダ王国の王アハズは、異邦人のアラム人と北イスラエル王国の連合軍に攻められ、その苦境を脱するために異邦人のアッシリア王に助けを求める。

一神教徒、ヤハウェ信仰の政治的共同体の代表、南ユダ王国の王アハズは異邦人のアッシリア王にこう言う。

「わたしはあなたの『しもべ』であり、あなたの『子』です。
どうか上って来て、わたしに立ち向かうアラムの王とイスラエルの王の手から、わたしを『救い出して』ください。」
(参照:列王記下 16:7 新共同訳)

彼はいわば、神の助けを借りずに苦境を脱しようとしていると言えるかもしれない。

神は我々から遠く、その力が及ぶ範囲は倫理などの形而上学に限られているのだから、現実の苦境に際して、異邦人の王を『主』と呼ぶのはむしろ"神を試みていない"と言えるかもしれない。

ユダの王ウジヤの孫であり、ヨタムの子であるアハズの治世のことである。
アラムの王レツィンとレマルヤの子、イスラエルの王ペカが、エルサレムを攻めるため上って来たが、攻撃を仕掛けることはできなかった。
(中略)
主は更にアハズに向かって言われた。
「主なるあなたの神に、しるしを求めよ。
深く陰府の方に、あるいは高く天の方に。」

しかし、アハズは言った。
「わたしは求めない。 主を試すようなことはしない。」

イザヤ書 7:1,10-12 新共同訳

本章、列王記下16章のエピソードはイザヤ書7章でも語られる。
そこで、主ではなく、目に見える権力に頼って苦境を脱しようとしたアハズは
「わたしは神を試みるようなことはしない」
と語る。

苦境に対し、目に見えない神に助けを求めず、目に見える政治権力に助けを求めたアハズ王は、それをイザヤに問われた際に
「わたしは神を試すようなことはしない」と語る。

しかしながら、どうにもならない、自らが無力であり、にも関わらず苦境にある時、人は神に頼るのではないだろうか。
それは「神を試みる」ことだろうか?

すると、そこへ十二年間も患って出血が続いている女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れた。
「この方の服に触れさえすれば治してもらえる」と思ったからである。

マタイによる福音書 9:20-21 新共同訳

子よ、病気になったら放置せず、 主に祈れ。
そうすれば、主は治してくださる。
過ちを犯すな。手を汚すな。
あらゆる罪から心を清めよ。
良い香りの献げ物と、 質の良い小麦粉を供え物として献げよ。
余裕のあるかぎり十分に、供え物に油を注げ。
その上で、医者にも助けを求めよ。
主が医者を造られたのだから。

彼を去らせるな。お前には彼が必要なのだ。

医者の手によって病気が治る時もある。
医者もまた主に祈り求めているのだ。
病人の苦しみを和らげ、 命を永らえさせる治療に成功することを。

シラ 38:9-14 新共同訳

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