第二コリント 8章
あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。
すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。
それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。
コリントの信徒への手紙二 8:9
そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。
「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。
しかし、あなたがたの間では、そうではない。
あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、 いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。
人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」
マルコによる福音書 10:42-45
本章でパウロはエルサレムの教会に対する救援計画について語り、それを通じてキリスト者にとっての慈善について語る。
キリスト者の模範は言うまでもなくキリストである。
神の子イエスは、神の子でありながら私たちのために貧しくなられた。
それは単に貧しくなったわけではなく、豊かさが溢れ出すことにより私たちという貧しさの中に生きるものが豊かになるためであった。
慈善も同じである。
貧しく生きる者は単に孤立して貧しく生きるわけではなく、その貧しさは溢れ出し、豊かに生きる者は単に孤立して生きているわけではなく、その豊かさは溢れ出す。
:「そのころ、預言する人々がエルサレムからアンティオキアに下って来た。
その中の一人のアガボという者が立って、大飢饉が世界中に起こると“霊”によって予告したが、果たしてそれはクラウディウス帝の時に起こった。
そこで、弟子たちはそれぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに援助の品を送ることに決めた。
そして、それを実行し、バルナバとサウロに託して長老たちに届けた。
使徒言行録 11:27-30
:兄弟たち、マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて知らせましょう。
彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。
コリントの信徒への手紙二 8:1-2