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サムエル記下 7章/誰が誰のために家を建てるのか

・本章を一言で説明すると

ダビデ王は主のために神の家である神殿を建設しようと決意するが、却って主からダビデ家の王朝を永遠のものにするとの約束を受け、驚嘆し、主を讃美する。

・あらすじ

サウル家との王位を巡る争い、契約の櫃のエルサレムへの運び上げを終え一息ついたダビデ王。「自らは宮殿に住んでいるのに、主はテント暮らし。これはいかがなものか」と預言者に相談する。宮廷預言者も神殿建設に乗り気な返事をする。

その夜、主のことばが宮廷預言者に臨む。
「わたしがかつて選んだ士師たちの誰かに神殿を建設せよと命じたか。
元羊飼いダビデよ。羊飼いのおまえを選び出し、王にしたのは誰か。

わたしがあなたのために家を興すのだ。
おまえの子孫がわたしの家である神殿を建設する。わたしはおまえの子孫を通じ、永遠の王権をおまえの家に与える。」

ダビデは驚嘆し、主に讃美の祈りを捧げる。

・心に残った聖句

「あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。
この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。」

‭‭サムエル記下‬ ‭7‬:‭12‬-‭13‬ 新共同訳‬

政治的にダビデ王朝が永遠に続くのだ、いやこれはユダヤ教においていつか来るメシアを預言しているのだ、いやこれはキリストを現しているのだ。
と、さまざまな解釈がなされてきた聖句。

わたしが読んでも強く印象に残る箇所である。

1.サムエル記-列王記の本章の意味

ダビデ王は神殿を建設せず、ダビデの息子ソロモンがそれを建設する。12-13節はそのことについて触れているものと解釈する(列王記上 5:19)。
バビロン捕囚というユダヤ教における大事件が起きるまではこの解釈が主流だったのではないか。

2.旧約聖書における本章の意味

12-13節は来るべきメシアを預言したものと解釈する(エレミヤ 23:5-6等)。バビロン捕囚以降ユダヤ教において主流派となっていった解釈。

3.キリスト教における本章の意味

すると、天使は言った。
「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。
あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。
神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」‬

‭‭ルカによる福音書‬ ‭1‬:‭30‬-‭33‬ 新共同訳

新約聖書はマタイ書に始まり、またマタイ書はイエスの系図に始まる。

新約聖書の冒頭が「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。」(マタイ‭1‬:‭1‬)という言葉から始まるように、ルカ書における受胎告知の場面で本章が引用されるように、キリスト教におけるナザレのイエス解釈にも本章は絶大な影響を与えている。

4.神殿という神の家を建てるのは誰か

エルサレムの第一神殿はダビデの子ソロモンによって建設されるがやがてバビロニアにより破壊される。
捕囚からの帰還後に第二神殿が再建されたが、やがてそれもローマ帝国に破壊される。

では神殿という神の家が破壊されたのかというとそうではない。
物質としての神殿が二回破壊されようが二千回破壊されようが主は主だからである。

では神の家とは何か。神殿とは何か。というとわたしたち人間それ自身である。

従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、 使徒や預言者という土台の上に建てられています。
そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、 キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。
キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。‬

‭‭エフェソの信徒への手紙‬ ‭2‬:‭19‬-‭22‬ 新共同訳

そしてこの"神殿"を建てるのは他でもない、神ご自身である。

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