サムエル記下 4章

・サムエル記内における本章の意味

ダビデの命令によって、従者は二人を殺して両手両足を切り落とし、ヘブロンの池のほとりで木につるした。
イシュ・ボシェトの首はヘブロンに運ばれ、アブネルの墓に葬られた。‬

‭‭サムエル記下‬ ‭4‬:‭12

本章開始時点でダビデ家と敵対するサウル家の王位継承権を持つのは現当主イシュ・ボシェトだけである。
サウル家のもう一人の男子、メフィボシェトは足が不自由であり(サムエル記下 4:4)古代オリエントの伝統に則り継承権を保有しない。

サウル家は有力な将軍であり、家内の実権を握っていた(サムエル記下 3:6)アブネルが前章においてダビデ家に寝返った末に暗殺され、本章で前述の現当主イシュ・ボシェトを失う。
これによりサウル家は崩壊し、次章においてダビデ家が統一イスラエルの君主となる。

ここにサウル家とダビデ家の王位を巡る戦いは終結する。

・復讐について
サムエル記上においてダビデが自分の命を狙うサウル王を赦す二つの並行エピソードがある。

それぞれのエピソードでダビデは

「主があなたとわたしの間を裁き、わたしのために主があなたに報復されますように。
わたしは手を下しはしません。」

‭‭サムエル記上‬ ‭24‬:‭13‬ 新共同訳‬

「主は生きておられる。主がサウルを打たれるだろう。
時が来て死ぬか、戦に出て殺されるかだ。」‬

‭‭サムエル記上‬ ‭26‬:‭10‬ 新共同訳

と語る。

ダビデはサウル王の死にも、彼の王位を継承したイシュ・ボシェトの暗殺にも関与はしなかったと聖書には記されているが、ダビデの赦しの態度はロマ書においてパウロが説いたそれに近しいように思える。

愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。
「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。
「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。
そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」

ローマの信徒への手紙‬ ‭12‬:‭19‬-‭20‬ 新共同訳

ではキリスト者における最も完全な敵とわたしの間の態度はこのようなものか?というと無論そのようなことはない。

それはやはり、山上の説教でイエスが説いたものであろう。

「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。 あなたがたの天の父の子となるためである。
父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。
自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。 自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。
だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」

‭‭マタイによる福音書‬ ‭5‬:‭43‬-‭48‬ 新共同訳

ただ、言うまでもなくこの「完全な者」の生き方は途方もなく難しい。

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