士師記 20章
彼らは立ち上がってベテルに上った。イスラエルの人々は神に問うて言った。
「我々のうち誰が最初に上って行ってベニヤミンと戦うべきでしょうか。」
主は、「ユダが最初だ」と言われた。
士師記 20:18
「わたしたちのうち、誰が最初に上って行って、カナン人を攻撃すべきでしょうか。」
主は、「ユダが上れ。見よ、わたしはその地をユダの手に渡す」と言われた。
士師記 1:1-2
戦争、強姦、民族浄化、暗殺、人身御供に彩られた士師記は異教徒のカナン人たちとの戦いから始まった。
そして士師記の最後の戦いは同族であり、同じ神を奉じる兄弟たち、ベニヤミン族との戦いで終わる。
前章から始まったベニヤミン族の物語においで、彼らは罪の極みを犯した。
創世記におけるソドムとロトのエピソードを語り直したような罪、街の住民が集団で旅人の妻を強姦し殺すという罪である。
これは許せん。ということで、夫は殺された妻の遺体をバラバラにして(⁉︎)、イスラエルの全部族に送りつけ、ベニヤミン族討伐隊を組織する。
イスラエルの中から悪を取り除く(士師 20:13)ためである。
全能の神に仕えるイスラエルは清いものでなければならない。しかしながらベニヤミン族は前述の強姦犯たちを匿った。悪を匿うことは悪である。つまり、ベニヤミン族全てが、ある一定の属性を持つ人々全てがイスラエルの敵となる。
ヨシュア記7-8章において、ヨシュアは異教徒の都アイを攻めるが敗北し、36人の兵士が殺害される。
その後、ヨシュアは作戦を練り直し、本隊で異教徒の都市アイを一旦攻めた後に偽装退却を行い、敵の守備隊を誘き出してから伏兵である別働隊により敵の根拠地である都市を奪取し、敵の退路を絶ってから街に火を放ち、その"狼煙"により連絡を行い別動隊と本隊で敵を包囲殲滅する。
との作戦によりアイを占領、然るのちに住民を聖絶する。
本章、士師記20章では、このヨシュアによる都市アイの征服が"現代"から語り直される。
丁度前章において異教徒の街ソドムとロトの物語が語り直されたように。
イスラエルは伏兵を配置し(士師 20:29)、偽装退却を行い(士師 20:32)、伏兵が敵である異教徒…失礼、イスラエルの兄弟の一員であるベニヤミン族の根拠地の都市を占領後に街に火を放ち、それを"狼煙"として本隊との連絡を行い(士師 20:37-38)、イスラエルは兄弟の一員であるベニヤミン族を包囲殲滅する(士師 20:42-43)
約束の地、カナンを得るための戦いを描いた士師記の冒頭で示された言葉
「ユダが最初に上れ」
が、士師記における最後の戦い、イスラエルとその兄弟の一員であるベニヤミン族との戦いにおいても最初に示される。
かつて歴史とは神による人類教育の過程である。とする歴史観があった。
これが仮に妥当とした場合にも聖書そのものにも大別した場合二つの歴史観があるのではないか。
一つはヨシュア記に代表されるもの、もう一つは本書、士師記に代表されるものである。