サムエル記下 9章/王の食卓に連なるしもべ
・本章を一言で表すと
イスラエルの前王家であるサウル家の生き残りのメフィボシェトは、かつて自分の祖父の臣下だった現国王ダビデに招かれ、王の食卓に連なる特権を受ける。
・あらすじ
ダビデはサウル前王の息子ヨナタンと親友であった。今は亡きヨナタンに忠実を示す為、サウル家の生き残りを探すダビデ王。
サウル家に仕えていたツィバという者を呼び出した彼は、ヨナタンの息子が一人まだ生きていることを知る。それは両足が不自由なメフィボシェトという者であった。
ダビデ王に呼び出されたメフィボシェトは彼に平伏し、畏れを示す。
ダビデはかつてサウル王の地所だったものをメフィボシェトに与え、更に王子の一人であるがごとく王の食卓へ連なる特権を与える。
・心に残った聖句
本章に限らず聖書には共食に関する様々なエピソードがある。キリストの最後の晩餐は言うに及ばず、創世記のアダムとイブは知恵の実を共食し、モーセに導かれてエジプトを脱出したイスラエルの民は天から送られたマナを共食した。
本章に見られる共食のエピソードについて考えた。
・本章のみから導かれる意味
「ダビデ王はかつての敵、サウル家の生き残りかつ両足が不自由なメフィボシェトを王の食卓に招く。
そのような者と同じテーブルを囲み食事をする。これは敵を赦し、更に見捨てられた弱者に憐れみを示す素晴らしい態度である。」
本章のみを読むならば、このような道徳的な意味をわたしたちは容易に見出せるだろう。
では、サムエル記全体を読むならばどうか。
・サムエル記全体から示される物語
1.伏線
このダビデとメフィボシェトの共食に関するエピソードには伏線がある。
かつてまだダビデがサウル王の臣下であった頃、疑心暗鬼に駆られた主君サウル王に彼は何度も殺されかけた。またダビデはサウル王の息子ヨナタンと親友であった。
ダビデは何度もサウル王に殺されかけたが、いよいよ彼の手から逃れられぬのではないかと思った時に、サウル王との新月の祭りという宗教的な宴会を欠席する。宴会を辞退することでサウル王が怒るかどうかを確かめ、またサウルの心を親友ヨナタンに知らせるためでもあった。
ダビデは宴会に参加する親友ヨナタンへサウル王に探りを入れてもらうよう頼み、ヨナタンもまた「主がダビデの敵をことごとく地の面から断たれるときにも、あなたの慈しみをわたしの家からとこしえに断たないでほしい。」(サムエル記上 20:15)とダビデに頼む。
サウル王は激怒し、それにより父の本心を知ったヨナタンはダビデに逃亡を勧める。
長い旅になることを悟っていた二人は互いに口付けを交わし、共に泣き、別れを惜しむ。
以上がサムエル記上20章のあらすじであり、王の食卓、ダビデとヨナタンが結んだ両家の契約など本章の伏線を形成している。
2.ダビデに焦点を置いて本章を読む場合
メフィボシェトは両足が不自由なため自分の王位を狙われるおそれがない。かつ親友ヨナタンとの契約も守れ、民や臣下には自分の度量の広さも知らしめられる。
おそらくメフィボシェトに憐れみを示すのは非常に良い判断だと思ったのではないだろうか。
3.メフィボシェトに焦点を置いて本章を読む場合
自分はもはや死んだ犬も同然に落ちぶれている。
自分の祖父が治めていた王国は、かつて祖父の臣下だった男の手に落ちた。
自分自身は戦いから落ち延びる際の事故で両足が不具になった(サムエル記下 4:4)。
かつて我が一族のものだった土地は戦乱の中で奪われ、それでも惨めに生きながらえている。
地位も、財産も、健康も既に失われているにも関わらず。
そんな中、かつて自分の祖父の臣下だった男、そして現イスラエル国王ダビデから呼びつけられる。
その男が呼びかける「メフィボシェトよ」
王の勘気に触れぬよう「僕です」と萎えた足で地べたに這いつくばり、答えるしかない。
彼は言う。
「かつてお前のものだった土地を返してやろう。更に、お前をわたしの食卓に招いてやろう」
この言葉を聞いた時、メフィボシェトはどのような気持ちだっただろうか。
・本章の後日談
このエピソードには続きがある。
ダビデ王は後に自分の息子に王位を狙われ謀反を起こされる。自らが勝ち取った"ダビデの町"、エルサレムから落ち延びる際、メフィボシェトの従者がダビデにパンやワインの贈り物をする。が、従者は居ても肝心の主人であるメフィボシェトは居ない。
そして従者からこう告げられる。メフィボシェトが「イスラエルの家は今日、父の王座をわたしに返す」(サムエル記下 16:3)と語っていたと。
これを聞いたダビデはメフィボシェトに下賜した土地を召し上げ、彼の従者に与えると宣言する。
ダビデは息子の謀反を鎮圧した後、ヨルダン川を渡りエルサレムへと帰還する。
凱旋するダビデをメフィボシェトが出迎える。「彼は、王が去った日から無事にエルサレムに帰還する日まで、足も洗わず、ひげもそらず、衣服も洗わなかった。」(サムエル記下 19:25)
ダビデが謀反のせいでエルサレムから落ち延びる際には見送らず、反乱を鎮圧し凱旋する際には出迎えたメフィボシェトはこう言う。
このメフィボシェトの言葉は真実だったのだろうか。それとも命乞いだったのだろうか。
そしてダビデはメフィボシェトのことばを信じたのだろうか。それとも彼の従者のことばを信じたにも関わらず、哀れなメフィボシェトに過去の自分を見たのだろうか。
どれもが真実なのかもしれない。
・王の食卓に招く
キリストは宴会を催す時には貧しい人や体の不自由な人々を招きなさい。と言う。彼らはお返しが出来ないから目に見えない神からの報いを得るためだ。
しかしこの聖句は、宴会を催す者が貧しい人々と共に食事をすることで何の変化もしないことを意味しているのだろうか。
ダビデは後にサウル家の者を徐々に暗殺、処刑などの方法で一人ずつ消していく。
が、メフィボシェトは生き残る。
ダビデがメフィボシェトの命を惜しんだのは、単に彼の父である親友ヨナタンと誓ったからだろうか。