歴代誌上4章/名付け

ペヌエルはゲドルの父、エゼルはフシャの父である。
彼らはベツレヘムの父、エフラタの長男フルの子である。
テコアの父アシュフルには、ヘルアとナアラという二人の妻がいた。

歴代誌上 4:4-5 新共同訳

ここでもやはりベツレヘム(地名)、テコア(地名)が血統を記している系図に書かれている。
地名が人の名に由来するもの、または"ナザレのイエス"のように人名が地名に由来するものとして書かれている。

地名ベツレヘムは主観的である。それはユダヤ人の血筋に依る命名だから。
それをベツレヘムと呼ぶ客観的な基準などない。強いて言えば
「皆がベツレヘムと呼んでおり、この任意の空間を呼ぶ名前としてみんなが認識しているから」
くらいの客観性である。

通常はこれでも問題にはならないが、時折地名という名付けが問題となる。
日本海-東海、メキシコ湾-アメリカ湾、キエフ市-キーウ市のように。

地名が完全に客観性(普遍性)を持って名付けられるならば、このような問題はそもそも起きようがない。

地名とは
「七日を一週間とし、その特定の日を○○曜日と呼ぶ」
というような主観性-客観性に似ているのではないか。

人名やペットの名付けのような、固有名詞の名付けってみなこの主観性-客観性があるんじゃないか。

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