ガラテヤの信徒への手紙 1章
兄弟たち、あなたがたにはっきり言います。わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。
わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。
ガラテヤの信徒への手紙 1:11-12
そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。
水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。
すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。
マルコによる福音書 1:9-11
しばらくガラテヤへの手紙を読む。
先ずパウロは冒頭の挨拶部分で自らの使徒職が「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって」与えられたと宣言する。
次に6-10節においてパウロは、キリストの福音という恵みから離れ、"別の福音"、つまりは「人が律法のお陰で義とされる」とする偽りの考えをガラテヤの信徒たちに吹き込む者たちを非常に強い調子で非難する。
パウロが告げ知らせる福音は人によるものではない。
使徒言行録第9章において、パウロはキリスト教史のみならず人類史におそらく最も影響を与えた一個人の回心を経験する。
パウロはシリアのダマスコ付近で劇的な回心を経験し、ダマスコの街に入るとすぐに受洗し、また数日療養しただけですぐに福音宣教を始める。
そして「それから三年後、ケファと知り合いになろうとしてエルサレムに上り、十五日間彼のもとに滞在しましたが、 ほかの使徒にはだれにも会わず、ただ主の兄弟ヤコブにだけ」パウロは会う。
つまり偉大なる宣教者パウロは
・ユダヤ教については学んではいたもののキリスト教については全くと言っていいほど学んでおらず
・復活前のキリストが直接選んだ他の使徒たちと異なり、キリストとの人間的な繋がりは無く
・それどころか、キリストから教えを学んだ他の使徒たちに会った経験すらほぼ無く、出会った期間も体系的に教えを学ぶにはあまりに短期間であり
・熱心にキリスト教の教会を迫害した過去を持ち
・宣教者、使徒でありながら自らの労働で自活する、いわば兼業の宗教家であり
・使徒であるにも関わらず、肉体的な欠陥、おそらくは視力障害を抱えていた。
これらは一つ一つならばともかくとして、全てが組み合わさったならばおよそ"使徒"らしくない。
彼に聖霊が働き、彼という器を通じて神が偉大な業を行ったことを私たちは知っている。
:ガラテヤの信徒への手紙 1:1
:ガラテヤの信徒への手紙 2:21
:たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。
そこで、身を起こして洗礼を受け、 食事をして元気を取り戻した。
サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、 すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた。
使徒言行録 9:18-20
:ガラテヤの信徒への手紙 1:18-19
:「「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。
そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました。」
使徒言行録 22:3
:あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。
わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。
ガラテヤの信徒への手紙 1:13
:主は、福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと、指示されました。
しかし、わたしはこの権利を何一つ利用したことはありません。
コリントの信徒への手紙一 9:14-15
:知ってのとおり、この前わたしは、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました。
そして、わたしの身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあったのに、さげすんだり、忌み嫌ったりせず、かえって、わたしを神の使いであるかのように、また、キリスト・イエスででもあるかのように、受け入れてくれました。
あなたがたが味わっていた幸福は、いったいどこへ行ってしまったのか。あなたがたのために証言しますが、あなたがたは、できることなら、自分の目をえぐり出してもわたしに与えようとしたのです。
ガラテヤの信徒への手紙 4:13-15
:このとおり、わたしは今こんなに大きな字で、自分の手であなたがたに書いています。
ガラテヤの信徒への手紙 6:11