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マップからどんぶらGO!へ・前編

何よりも、続けていくために。
1人で動こうと独立したはずが…


まず始めに申し上げておきますが、わたくしけっして鉄道オタクではございません。レールとか枕木とか、車両ナンバーとか時刻表とか路線図とかパンタグラフとか、そーゆーのはどーでもいいとまでは申しませんが、まあ私にとってはどっちでもいいんです。
それから、阪堺電車以外の電車には一切何の興味もございません。よろしいですか。そこんとこだけ、誤解のないよう申し上げておきます。

それでは、あらためまして、大阪と堺をむすぶ阪堺電車ことちん電を楽しむフリーペーパー「ちん電どんぶらGO!」発行人の萩原と申します。主にSNSとフリーペーパーの両方で阪堺電車沿線の魅力と楽しみ方を勝手に発信しております。
(あくまでも個人的活動のため、阪堺電気軌道さんおよび沿線のお店等からは一切の便宜もいただいておりません。)

以前は、「ちん電マップ」という別のフリーペーパーのスタッフでした。
(もちろんボランティア活動でした)
この「ちん電マップ」の発行人であるK編集長が、私にちん電沿線の魅力を教えてくれたのでした。元々は、ある小さなカフェの店主さんが毎日懸命にお店を切り盛りしておられるのを見たK編集長が、なんとか応援したいと思ったのが「ちん電マップ」発行にいたったきっかけだったそうです。
私もその想いにおおいに共感しました。そして、初めて一緒にちん電に乗って取材したとき、この沿線に潜む膨大な魅力の数々に触れて、すっかり魅せられてしまったのでした。

K編集長は一種独特の嗅覚というか、摩訶不思議な才能の持ち主で、なぜかこの人が歩いていく先々には不思議な偶然が待ち受けており、取材は毎回驚きの連続でした。そのような発見に出くわすたび、K編集長は口癖の「アヤシー!!」を連発しました。
しかし今にして思えば、それはK編集長の特異な才能だけではなく、やはりちん電沿線特有の磁場がもたらす作用だったのかもしれません…。
いずれにせよ、ちん電沿線は歩くたびになにか、必ず新しい発見と素敵な出会いが待ち伏せているのでした。

「ちん電マップ」はA4サイズのフルカラー印刷、レイアウトはプロのデザイナーさんによるもので、4ページからのちに8ページとなるなど、大変な豪華版でした。毎回特集のテーマごとに取材し、そのエリアの楽しみ方やおすすめスポットの紹介をしていました。
沿線の企業、小売店等から広告費も募っていました。私は主に取材と撮影、出来上がったマップの配布と広告費の営業も行っていました。
あくまでも、素人によるボランティア活動でしたので、さまざまな限界にぶつかりました。私たちが応援したいという一心で取材する多くの個人店の方々が、その日その日の売り上げで必死に生活を支えておられる状況です。また、企業の方も、沿線の活性化につながるとはいっても費用対効果で結果が出せるかあやしいフリーペーパーへの広告掲載に対し、簡単には首を縦に振ってくれるはずもなく。
少しずつ認知度は上がり、「応援するよ」と言ってくださる方が増えてはいきましたが、現実にはどんどん継続が難しい状況に陥りました。
私自身、負担がかなり大きくなった事もあり、不本意ながら一旦「ちん電マップ」の作成からは退くことにしました(その後、発行も休止状態に)。

とはいうものの、このまま終わらせてしまいたくはないと強く思った私は、なんらかの形でこの活動を継続できる方法はないものかと模索しました。元々は、沿線の魅力を発信することで、地元のお店や住民の方々に元気になってもらいたい、というその一心で始め、続けていた活動です。自分一人でも出来る方法があるのなら、一人でも続けたいと思いました。

そこで、手描き原稿をコピー機で印刷したフリーペーパーを発行することにしたのです。これなら個人の範囲内で気軽に発行が可能です。広告費を募る必要もなく、コストも最小限に抑えられます。写真などは載せられませんが、それはSNSで発信すればいいと思い、このスタイルで新しく「ちん電どんぶらGO!」を発行し、独立したのでした。
第1号は、2018年12月に発行しました。
始めは、月一回ペースで発行していました。月一というのはなかなか結構大変なんですけれども、手軽な個人のフリーペーパーなので、それくらいのペースを敢えて自分に課したのでした。
出だしは順調でした。第3回までは、無事に毎月発行できていました。

ところが・・・
えらいことが、起こっちゃったのです。
私個人の、身の上にですね。
端的にいうと、結婚することになっちゃったのです。いきなり、唐突に。
正に青天の霹靂ともいうべき状況ゆえ、それでもう、フリーペーパー発行どころではなくなってしまったのでした。結婚と転居準備のため、せっかく始動したばかりの「ちん電どんぶらGO!」はいったん休止せざるを得なくなりました。とほほ。

(次回、後編へ続く)

【萩原久実子・プロフィール】
大阪・堺市出身。
生後まもなくアトピーを発症し、血まみれの暗い悲惨な幼少期〜思春期を経験。おとぎ話を心の支えに成長する。
26歳で一念発起して兵庫県立尼崎青少年創造劇場(ピッコロシアター)演劇学校へ入学。才能のなさを思い知り、3年目で卒業。以後演劇の道を断念。
その後体調を崩し、ひきこもり生活に。仲間とともに「ひきこもりーノ大作戦」を立ち上げ、ボランティア活動を通じて自立の道を探る。
阪堺電車(愛称ちん電)の魅力を発信するフリーペーパー「ちん電マップ」の発行に携わり、その後独立して「ちん電どんぶらGO」を発行。ちん電沿線をまち歩きしながら、SNS等で勝手に発信し続けている。


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