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ZOZOTOWNの社長が62億円で落札したバスキアって?

2016年5月10日、ニューヨーク・クリスティーズのオークションでバスキアの無題の作品が5728万5000ドル(円換算約62.4億円)の高額で落札され話題を集めました。
落札者が日本人、しかも若者に人気のショッピングサイト「ZOZO TOWN」社長でタレント紗栄子の交際相手としても知られる前澤友作氏ということでさらに大きなニュースとなりました。(2016年時点)
バスキアといえば、約9年間に3,000枚程の落書きの様な絵を残し、ドラッグの過剰摂取によって27年の生涯を終えた破天荒な天才、あるいはその落書きのような作風から、キース・ヘリングと並ぶ現代のストリートカルチャーの申し子のような捉えられ方をされています。

バスキアとは何者か

オークションプレビュー会場にて  (作品はジャン=ミシェル・バスキア「Untitled」)
画像: 現代芸術振興財団

たしかに地下鉄やスラム街へのスプレー落書きからスタートしていますが、ただ好きな絵を描いただけではありませんでした。
高校を卒業して家を出たバスキアは友人のアパートを転々としながら、ニューヨークのクラブに出入りするようになり、アーティストたちとの交流を深めていきます。
駆け出しのアーティストが、なんとか人脈を作ろうとしたわけです。Tシャツやポストカードを路上で売ったり、MoMAの前などで作品を売ったりして自分の作品を「発表」する一方で、1979年にバスキアはキース・へリングと出会い、さらに意欲的に業界人たちと出会うことで有名になるためのきっかけを求め続けました。
そうした努力が功を奏して、アーティスト兼映画監督のディエゴ・コルテスが、 バスキアの作品を気に入り、メトロポリタン美術館初の現代美術キュレーターのゲルツァーラーに紹介します。
ゲルツァーラーはバスキアを好意的に迎え、彼の作品のコレクターとなりました。
その結果、バスキアは「アート・イン・アメリカ」誌で論じられるアーティストになったのです。

スターダムを駆けあがったバスキア

晩年は、ポップアートの巨匠・ウォーホルにも認められて共同制作するようになり、1987年のウォーホルの死まで2人は互いに刺激を与え続けました。
彼の絵のテーマの多くは黒人差別への抗議です。
それを作品で訴えるために、いわば下積みの苦労を文字通り地を這うようにして行ったことで美術界の人たちの共感を呼んだのです。

その後、バスキアはアメリカとヨーロッパで個展を開くと、アーティスト、コレクター、批評家の誰もがバスキアを絶賛。
ドイツの国際的展覧会「ドクメンタ7」へ最年少で出品するなどスターダムへと駆け上がり、作品は飛ぶように売れていきました。
そして人気絶頂のなか、生き急ぐような生涯を27歳で閉じました。

前澤氏の落札の目的とは

今回62億円でバスキア作品を落札した前澤氏は、投資目的ではなく、「ストリート出身であるバスキアの最高傑作を、ストリートカルチャーにいろんな影響を受けた僕が、恩返しとして、日本のどこかで展示して日本のみなさんに思う存分近くで見てもらえたらなと思い、思い切って落札しました!」と、ツイッターを通じて落札の意図を説明しました。

前澤氏は生まれ故郷の千葉にプライベート美術館の設立を予定していて、そのための作品集めの一環だそうです。
ストリートから出発して当時のアートシーンで時代の寵児としてもてはやされたバスキアに、起業家としての自身の人生を重ねたところもあるでしょうが、それ以上に純粋にこのアートを多くの日本人に見てほしいと願っての落札であり、コレクションでしょう。

またもやバスキア作品が話題に

この落札のおよそ1ヶ月後の6月12日、またもやバスキア作品が話題になりました。
映画スターのジョニー・デップが25年かけて収集したバスキアの9点の絵画やドローイングを競売にかけるというニュースです。
出品される作品のほとんどは、バスキアが国際的スターへと開花した81年に制作したもので、なかでも「Pork」は250~350万ポンド(約 3.9~5.4億円)という落札予想額がつけられているとのことです。
コレクターにとって収集した作品は財産であると同時に愛情をそそいだ対象ですから、手放すのも辛い判断だったと想像されます。

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