新世界
今年は、コロナコロナコロナの一年だったな。
世界中が同じタイミングで同じ事象でこんなに揺れたことって、歴史上あったのかな?
どちらにしろ、私達は今すごい時代に生きている。
「私の周りでは、○人の方が亡くなりました。どうかコロナの恐ろしさをご理解下さい」
この前、こんなツイートを見かけた。それを見たとき解ったんだ。
コロナが怖いんじゃない。コロナから炙り出される感情を感じることがみんな怖いんだ。この世界的な出来事は、(陰謀論も含めて)それぞれが自分の中にある得体の知れない恐れを炙り出すきっかけにすぎない。
これまでは、死なないように生きる選択をする人が大半だった。私もその一人。
これからは、生きる表現として命を使う人が増えていくような気がする。
未来と過去に挟まれた自分じゃなくて、今この瞬間にいる自分に集中して生きていくのが、これからの時代。
きっと過去のデータは使いものにならなくなって、「こうしたらこうなる」みたいな計算式は簡単にぶっ壊されることが沢山起きてくる。
でも、恐れを抱えたままじゃ計算式は手放せない。
この得体の知れない恐れはどこから沸いてくるのか?
人間て、死んだ体を放置しておくと、腹が裂けてそこから体液が漏れ出してくるんだって。遺体の周辺には流れ出たドス黒い体液がこびりついている。
孤独死をした人の住居を掃除する仕事をしている人の記事に書いてあった。これを読んだとき、その部屋の様子がリアルに感じ取れて、私はものすごく怖くなった。
そして、私達が潜在的に恐れてるのって、これなんじゃないか?と思った。
内臓が腐敗してドロドロの体液が腹を裂いて流れ出す。目を背けたくなるようなおぞましい自分のことを潜在的に知っている。結局は自分自身の正体を怖がっている。
孤独死は、誰にも助けを求められない苦悩と絶望にまみれているだろう。その闇に触れることもとてつもなく怖い。
でも、これってきちんと自分を見てくれてる人がいれば、遺体が腐敗するまで放置される事はない。
ということは本質的な恐れは、誰にも関心を寄せられない自分になることを恐れているってことにならない?
だから、周りの目を気にするし、評価や賞賛を得るために人生を費やすことで終わってしまう。でもそこには本当の喜びはない。
じゃあ、おぞましい自分をそのまま受け入れることができれば、何かに恐れて生きることを終わらせられるんじゃないか。
冷静に見れば、私達の体はおぞましくなんかない。果実は熟れすぎればぐちゃぐちゃになって腐る。それとなんら変わりはない。人間だけが特別な訳がない。最後は土に還って、新しい命の栄養に巡っていく。
結局、人間の傲慢さからの勘違いが、この世の恐怖を作り出している。
欲しい気分や感情だけしか受け入れない。それ以外のものは排除しようと逃げ回る。早く、便利に、面倒なことには蓋をする。
そんな人間の傲慢なニーズに答えることによって社会が繁栄してきたのなら、後でツケが回ってくるに決まってる。
そのツケが、今の時代のいろんな現象として物語っているように感じる。
真理は自然現象。人間にその流れを止めることはできない。
そして、いち人間の私達が「感じる」ことも自然現象で、それを止めることはできない。
感じていることはなかったことにはできないし、そこにルールはないし、感じていることが自分にとっての真実。
痛みも、喜びも、全部がわたしの真実で、その中で生きることが本当の自由。そしてそれこそが本当の意味での生きてる感覚で、誰もが欲しくてたまらないものなんだ。
痛みや恐れを越えて、本当に欲しいものはなんですか?
そこから新しい世界が始まる。
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