他人の評価で自分の価値を測るなよ②


そして、自分のメッセージを付けた作品をこのnoteに投稿した。

https://note.com/gallery_3051/n/n69df8bccd7a8

撮影した友達にこれを見せたら、「これ、個展に出てもおかしくないよね笑」ってぽろっと言った。

このnoteのアカウントは

gallery(ギャラリー)3051

数字の意味は、私の生まれた時間がam3:51だから、本当は0351にしたつもりが間違って入力してしまってこうなっているw



感じたことを表現することが芸術なら、私のnoteという空間はギャラリーにしよう。そう思ってこのアカウントを作った。

だから、ビジョンが伝わった気がして嬉しかった。







それから何ヶ月も経った数日前に、その友達からインスタにあの写真を投稿したいんだけどいい?という質問がきた。

その子の作品でもあるから、もちろんいいよと答えた。

そして、投稿が上がってきた。

そこには、

いつもありがとう。カッコいいからみんなに見てほしくて、公開♡

ハッシュタグには、プリクラに書き込むようなノリの言葉が連なっていた。



それを見たとき私は違和感を感じた。この写真を軽く扱わないで!そんな気持ちもふつふつと湧いていた。

次の日、どんな動機で上げたのか確認した。

その友達は、私のnoteの色んな記事を最近読んで、感動したから私という人間をシェアしたかった。と言っていた。


投稿してみて、今どんな気分か質問した。

あまりしっくりきていないと言っていた。でも自分でも何がしっくりきていないのかわからない。でも、いいねや褒めてくれるコメントがきて、上げて良かったと思う、と言っていた。

その時、私はモヤモヤしていたけど、悪気のない友達に何にそんなにモヤモヤしているのかわからなかった。







電話を切ったあと、しばらくして

なめんなよ。

ドスのきいた声が腹の底から突き上がってきた。

この作品に、いいねが0だろうと1万つこうと、私にとっての価値は一ミリも変わらない。

人の評価で、私が感じた想いは、減りも増えもしないから。

そんな想いを持っている自分を再確認したとき、過去の自分がフラッシュバックしてきた。

虚無感でできていた私が、今は感じる心を何よりも大切にしていると気づいた。



翌日、友達に電話をした。

私が今感じていることを正直に伝えた。

それを聞いた友達は、とても理解してくれた。その後、インスタの投稿を編集していた。






画像1

「欲動」

*欲動(よくどう / drive)=人間が生きていく現象を根底でつきうごかしているエネルギーの大きな動き。



写真から感じたバイブレーションをこの言葉で表現した。

また、新しい芸術が生まれた!と思って私は嬉しかった。


欲動って初めて聞いた言葉だったんだけど、私は欲動で生きてるな、って妙に納得した。





これからも、私は欲動で生きていこう。

目に見えるものに左右されずに、自分の内側で感じる世界を守り抜きたい。





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