他人の評価で自分の価値を測るなよ
自分の感じたことを表現したら、それはもう芸術です。
何年か前にこの言葉を見たとき、私は大きな許可をもらった気がした。
それまでの私は、自分のやる事に価値なんて見出してなかったし、なんなら、この大きな世界の中で私一人が消えたって何の影響もない、と思ってる人間だった。
虚無感でできた人間で、感じる心を眠らせていた。
そんな人間が創る人生は、その通りの人生が出来上がっていく。
私は、自分の感じる心をおざなりにして、一生懸命何者かになろうと生きていた。
営業の仕事したり、ネットワークビジネスしたり、上の人間を目指して、それが正しい道だと思い込ませて生きていた。そこに 私 という存在はいなかった。
ネットワークビジネスを辞める時には、誘ってくれた人に恩を仇で返すような形で辞めた。
そのシーンは今でも鮮明に覚えている。
LINEのやり取りで、「来年にはこのランクになってるから、頑張ろう!」みたいな励ましの言葉がきた。
もう、そんなポジティブな言葉にほとほと嫌気が差していた私は、
「そのランクにいきたいかどうか決めるのは、私です。しばらく休みます。」
そう返した。
ああ、やっぱり私は何者にもなれないダメな人間なんだ。。
そんな気持ちと並行して、言いたいことを言えた自分に力が戻るのを感じた。
もう、自分に嘘ついて、仮面被って生きる人生を終わらせたい。そう思った。
その頃の私は、カードローン地獄で自転車操業状態。「地獄」だと思ってたその世界で、紛れもなく私は生かされていた。
今振り返ればそう思える。
それから数年間、地道に自分と向き合って少しずつ力を取り戻していった。
そして、あの言葉を見たときから、何者でもない自分で表現をしたいと思い始めた。
まずはTwitterに言葉を乗せた。怖かった。自分を出すのがこんなに怖いんだと初めて知った。でも辞めずに1年は続けてみようと思った。
やっていくうちに、今度は写真と一緒に言葉を表現したいと思った。
被写体は自分。
バカバカしすぎて、恥さらしなアイディア。
何度も自分の中で却下した。却下してもまた、やりたいと私が訴えてきた。
カメラをさわれる地元の友達に頼んで、今年の正月の帰省の時に撮影をしてもらった。
プロのカメラマンに頼んだ訳じゃないからあまり期待してなかったんだけど、上がってきた写真を見たとき、「いい」と思った。
つづく⬇️
https://note.com/gallery_3051/n/nccd158eedbd1
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