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#6 東京と地方の子育て支援センター、そして悲かった出来事

地方に引越して2週間の自宅待機も終わり、市役所、保育園見学、こちらでの産院の検診も終わった。

この地域は感染者に対して厳しく、親も去年は私の帰省を止め、今回引越すときも近所の人たちに「娘が出産で帰ってきてしばらく居るけど、2週間待機します」と言って回ってくれたそう。

なのでどこに行った時も、「東京から」と言う際は「 PCR検査で陰性で、こちらで2週間待機しました」と言うようにしていたが、特に避けられるようなそぶりはなかったので、ああ良かったな〜と安心していた。

PCR検査を受けたときのお話はこちらです。

ちょっと引越しの片付けも落ち着いてきて、娘を祖母に任せてばかりなのも悪い。そうだ!子育て支援センターに行こう!と思って行ってみました。

子育て支援センターとは…
児童館が18歳未満の児童を対象にした施設に対して、子育て支援センターは乳幼児を対象にした施設。お母さんたちがお喋りをして情報交換をしたり、施設自体が地域の自治体の情報などを持ち、相談に乗ってくれる。

子育て支援センターが重要視されていた東京

私は「子育て支援センター」というものを第一子出産まで知らず、その狭い空間がどんな世界なのか想像できず、なかなか扉を開けるのに勇気がいった。東京の私がいた地域だと、よく言われる「公園デビュー」よりも「子育て支援センターデビュー」の方が存在が大きかったような気がする。(そもそも公園デビューって古い言葉?)
最初はもう仲良くなっているお母さんたちもいて、誰とも話せずただ帰るだけの日もあったけど、子どもがハイハイして動くにつれて、自分も移動するので人と話しやすくなり、だんだんと顔見知りもでき、娘が歩く頃には毎日通うようになった。

その子育て支援センターでは、お母さん同士がおしゃべりに夢中になると、それまで事務作業をパソコンでカチカチしていたスタッフさん(そこでは先生と呼んでいた)がふわ〜っと来てくれて、子どもをあやしてくれ、おしゃべりに集中させてくれていた。そして月齢が違うお母さんばかりで話に混じれていないお母さんがいると、ふわ〜っと来てくれて、スタッフさんが1対1でお話してくれたりした。
新生児や幼児を育てる孤独なお母さんたちの、居場所をつくってくれていた。

地方の子育て支援センターに行って

こちらで行ってみた子育て支援センターは古い一軒家を使ったアットホームな場所。

最初に登録用の個人情報、コロナについての体調などのアンケートを、娘がどこかに行かないかあやしながら急いで書いた。そして娘は畳の部屋で喜んで遊び、私はスタッフさんや、その場に1組だけいたお母さんとお子さんとお話し、クローズの時間まで居た。

あ〜、ここだここだ。これから第二子出産後も通える場所ができた、と、久しぶりに人と話した楽しさと疲れを感じ、帰路についた。

そして帰ったあと、電話が来た

帰って娘と遊び、ごはんを食べていると、知らない電話番号から電話が。出ると、とても感じの良い年輩の女性の声。

「(今日行った子育て支援センターの名前)の代表の○○です。今お電話大丈夫ですか?今日、『東京から引越してきた』とお話されていたそうで、それはいつでしたか?そのお話をスタッフが聞いて、帰られてからスタッフたちで、2週間待機されているか、ちょっと心配だね、という話になって、お電話させていただきました〜」

と言われた。

ん???

私、今日のお話の中で、「3月に東京から引っ越してきて」と言いました…。今日は4月20日…2週間は経ってるよね…。

それにコロナのアンケート、なんだったの?

「3月に引越してきて、と、スタッフさんにお話しました。2週間待機しています。あのアンケートにも書いたと思うのですが…」

「そうだったんですね。あのアンケートには海外の渡航歴だけだったんです〜」

えっと……。
海外……。そうでしたか…。

こんなに気になって電話してくるくらいなら、「県外」にしてくれませんかねえ…(泣)

なんだか、とても楽しく話をしていたつもりだったのに、会話を断片的に聞かれ、私が帰ってからザワザワされたと思うと……しんど。

子育て支援センターでは、どこに住んでいるかなど、いろいろな話をするので、引越しの話もついつい出してしまった。
そして今まで「2週間待機してます」を徹底していたのに、1か月が経ち、アンケートも書いていたので気が緩んでしまっていた。

私はいつまで経っても、「東京から引越してきました」とは言わない方がいいらしい

引越した時期を言っても、待機しましたと言っても、今回のように「東京から」を断片的に切り取られたり、詳細を聞き取られないこともある。

引越してきた話はせず、子どもの成長の話だけすれば良かったんだよね。なんだか引越しの片付けの毎日で、頭の中、引越しだったんですよ…。

…もう、外出るのやめよ(泣)

妊婦のメンタル、負のスパイラルが発揮。

「アンケートを海外ではなく県外にしてほしいこと、帰ってからこのような電話があることは、びっくりするし、いい気持ちはしない」という話を正直にした。
せめてその場で聞いてくれ…。

代表の方は謝ってくださったし、悪気がなかったことは確かなのだけど、私はこの施設にはもう行きたくないし、行かないな、と思った。

お互い自分がその立場にならないと分からないよね

東京から来た人が疫病神扱いされることについて、どうして傷つくのか、説明が難しい。誰かうまい人、Twitterで140文字で表現してほしい。
「そこに住んでいたことは変えられなく、どんなに努力していても感染してしまう確率が高いことは仕方がないことなのに、感染して、自宅待機していないことを前提にされがちだから傷つく?」
うまく言えなくても、ただ単に、「エンガチョ〜」とされているみたいなんだろうな。

地方の人の気持ちも分かる。確かに感染者が少ない地域で感染することはとてもとても怖いから。その気持ちを汲んで

「2週間待機しましたか?」
「しました」

で終わればいい話なのだけど、こちらの事情とはいえ、PCR検査を受け、癌の父をホテルに隔離し、空港からは車で直に家に帰り、2週間待機して...と苦労した後だったので、感情的になってしまった。
そして「子育て支援センター」という「お母さんの味方」だと思っていた場所は完全にそんなことしない、と油断していたのだ。

代表の方はただただ責任感で電話をしてくれたのだと思う。でも、「アンケートの不備があって、県外と書いていなかったのですみませんが…」という前置きがあってほしかった

アンケートを海外にしていたけど、東京なら電話が来た。では隣の県なら?感染率が低い地域なら?
保育園の申し込みシステムと同じく、この地域の公の人たちによる「境界線の曖昧さ」にはこれからも慣れる気がしない。

きっと東京の大多数の人がこんな想いをしていることは糧になるはず

ただ人口が多い「東京の人たち」が、このうまく説明できない、強い言葉で言ってしまうと「東京差別」というものを経験したことはとても大きなことだと思う。
これを経験した人が自然と、「同じことを人にしてはいけないこと、思慮深い言葉を選ぶこと」を、他人にし、自分の子どもに教え、その子どももそのことを感覚的に学べるのは、素晴らしいのではないかと思う。

子育て支援センターに1組だけいたお母さんは「さっきスタッフさんとのお話が聞こえてきて...すみません。東京から引越してこられたんですね。」と話しかけてくださり、「3月なんです。PCRも受けて...」と自分からお話することができた。
今、思い出すと、2週間待機が気になって話しかけてくれたのかもしれない。でも、そうは言わず、引き出してくださる思慮深い方だった。またお会いしたかったな、と思った。
そして私も、そんな母親になりたいと思った。

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