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✗SNS誹謗中傷 ストーカーとASD 自閉症…当事者の悲惨さとは…✗【発達障害随想】

著・HermitG-zan
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     *緒 言*
筆者は自閉症スペクトラム障害当事者である。本稿に於いては、第三者視点で観たASDの実態を、可能な限りありのままに記すことを試みた。

それゆえ本稿の内容は、発達障害 ASD当事者にとっては非常に辛辣な記述を含む。世にある "安易な癒やし· 慰め· 気休め或いは励まし" の類いでは全く無いことを予めお断りする。
本稿は、生活意欲喪失して久しく安楽死を切に希望する筆者による、遺言の如きものと思っていただければ幸甚である。

筆者の文章は、自閉症特有のしつこさとクドさを有するが、宥恕を乞う次第である。
      *   
  

▲ニュースにて、10年以上に渡り誹謗中傷を受けた某芸人の談話を読んだ。(五輪に於いても、選手に向けた誹謗中傷深刻の一途の由)

日刊スポーツ 2024年6月4日 (火) 6:00配信。曰く、

僕は殺人犯にされた」出版の52歳芸人「SNS向いてないのは平気で人を傷つける人」注意喚起

該記事の記述が概ね正しいものであるとすれば、芸人氏の言は正鵠を射たものである、と言えよう。

発達障害 自閉症 ASD当事者の立場で、ハッキリ申し上げれば、「SNS向いてないのは平気で人を傷つける人」とは
『極端な利己性、自己中心性を有する自閉症 ASD』であると申しても過言ではなかろう。
要は自閉症に限らず、利己性、自己中心性が強く、しかもそれを自覚出来ぬ者は、就中SNS など全く不向きであると言うことだ。儂こと 筆者HermitG-zan も、その不向きな一人であるのは言わずもがな。


ASDは本質的に、SNSに全く不向きな存在】

ASDの本質とは『社会的存在として精神的人格的に成長することを拒み、幼児であろうと強く希求する心的状態』に、ある。
幼児・子供は他人の心情や迷惑を斟酌などせず、思ったまま感じたままを言いたい放題やりたい放題。自他の区別がつかず自分の言動に無責任で、なぜ叱責されるのかが分からぬゆえに誤りを認めようとはしない存在。
自閉症スペクトラム障害の人の言動を見給え、ごく一部の例外を除き、まさしく『幼児・子供』であることが瞭然であろう。
しばしば大人の発達障害 者なるものは、通俗的な意味での "精神年齢" が実年齢の2/3云々と言われるようだが、全くとんでもない話で、実際は5〜10歳程度で止まったままでいるのだ。この事実は、当事者に (編集者が手を入れた当事者の手記等の出版物でなく) 直接ジックリと接した経験を有する者ならば、容易に首肯出来よう。

ネット上で見かける、言語能力の高いasdの書く文章は、一見論理的で実にシッカリしている。しかし、そもそも その言動は、歪んだ土台の上に成り立っている故に、部分的には整合性を有していても、全体的には妙な不可解さがある。至る所に極端な偏りが生じること少なからずあり、コミュニケーションにも特有の不可解さが生じる。勿論、実生活に於いては まるで駄目、子供同然であるのだ。当然、この儂も例外ではない。(本サイトに於いて、筆者はフォロー、フォロワーなるものが嫌なので一切謝絶しているが、これも一般的には不可解であろう)
     

【分別無き子供がSNS上で刃物を振り回す】

社会性の障害』つまり社会性の欠如した子供そのものである成人ASDが、SNSを使ったら一体どうなるか?答えは簡単、まさしく分別なき子供が刃物を振り回すようなものではないか。かかることは、多少なりとも発達障害の何たるかを知ってる者ならば、即座に分かることだ。

TPOを弁えず、臆面もなく他人のやり取りに押し入って手前勝手なことを放言し場をぶち壊す…自分は絶対に正しいと信じ込み、気に入らぬ者を容赦なく執拗に叩き続ける… 極端な思い込み及び こだわり,しつこさからストーカー化する… 人の気持を顧みようともせず傷つくことを平然と言う… 誰かの言う事を単純に信じ込み、或いは物事の一部分のみに着目し、ろくに事実確認もせず誤情報或いは極端な陰謀論 等を拡散する …  ASDはリアルでもトラブルを頻発するが、それがそのままネット SNS上でも再現されてしまうワケだ。
特に文字数制限あるツイッター X は、健常者でさえ極論的になりがちだが、自閉症スペクトラム障害 者の場合、それに輪をかけた決めつけ極論の惨状を呈することになる。


【参考記事 : 発達障害と犯罪事件】
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■多発するストーカー犯罪の背景には…


長崎県佐世保市高1同級生殺害事件↓

■極めて不可解な動機による殺人: 旧大口病院点滴殺害事件↓


中には『発達障害ですが何か?』と開き直り、相手のリアクション、つまり迷惑がっている有り様を面白がる不届き者すら存在する始末。…ASDがSNSを使ったところで、 全くロクなことが生起しないのだ。


【偏向する当事者グループ)

とかく発達障害当事者団体及び自助グループなるものは、その特性故に該障害を有する者の一面のみを見、一方的にアピールする。曰く『自閉症の人が犯罪加害者になることは滅多にない、むしろ被害者になりやすい』或いはバカの一つ覚えの『社会が悪い』『理解しろ!』連呼。その主張は、一面に於いては正しい。しかし、その一面のみしか見えぬ所謂『視野狭窄』であるのは言うまでもない。(本当に頭の良い人とは、物事の全体を捉え、その上で部分に言及するのものなのだ。自閉症者にしばしば見られる、自称ギフテッド、2eは、このバランス感覚が欠如している。)
発達障害当事者のみで運営すると、かかる偏向した主張しか出来なくなる好例と言えよう。
 

【自閉症 発達障害のありのままの姿を直視せよ。話はそれからである】

筆者は自閉症当事者であるが、しかし、現実を直視せず能天気かつ楽観的に『ありのままでいい』と称したり、自閉症の一面のみを捉えて『可能性』或いは『長所』云々を唱えることには全く反対の立場を取る者である。
特に、成人自閉症者の有する『いつまでも人格的精神的に成長せぬ子供のままの、子供としての属性。そしてそれによって生ずる あらゆる面での自己中心性と未熟さ、極端さ』。これは、ありのままに見れば、ごく僅かの例外を除き、その社会的存在としての在り方を著しく阻害する『マイナス面』が大部分であり、これが自閉症者の "現実の姿" なのである。
良きにつけ悪しきにつけ人間の有する様々の傾向を "極端な形" で現出させる発達障害当事者の現実の姿を、単なる理想論に溺れずに、直視する必要があるのである。 
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『知識よりも思いやりが必要である。思いやりが無いければ、そこには暴力だけが残る』
これはチャップリンの『独裁者』の言葉である。自閉症者には思いやりがないわけではない。しかし、彼らのその思いやりとは、相互を思いやる社会的存在としての視点の欠落した、専ら自己中心的な思考によるものである。彼らは自分だけの閉じた世界の中で思考し判断する。それゆえ、その思いやりとは結局のところ、"思いやりの無い暴力" に同質化する、と言っても過言ではない。

発達障害 自閉症者にしばしば見られるところの、知識のみを詰め込んで "人情の機微を解し得ぬ" ゆえに巻き起こるトラブル。そして自閉症特性による歪んだ認知及び思考の極端さに起因する、家庭内から広く社会に於いて巻き起こす様々の常軌を逸した不可解なトラブル、或いは重大事件。…これらを見聞きする度に、筆者は言いようのない悲しさと腹立たしさを感じずにはおられない。しかし、この現実を しかと "直視" せねばならない。
所謂 健常者には有益な助言忠告も、自閉症者にあっては むしろ事態を悪化させる方向性を有することが少なくない。否、むしろ多い。直視すればする程、そこにはただただ難攻不落とも言うべき『絶望』が虚しく横たわるのみ…である。

単なる理想論 感情論ではなく、自閉症者の実生活に於ける現実を偏頗なくありのままに直視し、その深い闇と絶望を経、その絶望を土台とした上で自閉症者の有する長所及び可能性問題に言及せねば、なんら実効性なき浅薄無益な議論に終わることは理の当然であると、筆者は ごく常識的に思惟する次第である。(尤も、かかるバランス感覚の欠如しているのが自閉症であるのだが)


【ASDの悲惨…宇宙で一人ぼっちの存在】

儂とて当事者の端くれである。ASDの全てが、無自覚に誹謗中傷やら迷惑行為を為す、と責め立てている訳では毛頭ない。
しかし、いずれにせよASDとは、ある程度自分の特性を自覚出来ていたとしても、結局は他者に対しては自分中心、自分に都合の良いようにしか振る舞えぬ宿命を負っている。あらゆる局面において、常に自分中心にしか物事を考えられぬASDにとっては、真に心を通わせることの出来る者など、健常者はおろか当事者間にすら居ない。
宇宙の誰とも心からの交流を為し得ず、たった一人で生まれたった一人で逝く宿命を負った、たった一人ぼっちの悲しき存在、自我の虜囚となり果せた悲惨としか言いようがない存在が、地球上に於けるASD 自閉症なのである。
    
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自閉症 ASDの最悪の敵は、その当事者である。
物事の加減を知らず執拗。そして認識&思考の極端な偏り。これら子供同様の特性から、大人の発達障害者同士は上手く行く時は上手く行くが、何らかの意に沿わぬ事が起こると、掌を返したように相手を徹底的に攻撃、誹謗中傷したりする。更には死に至らしめる事すらあり得るのだ。

SNS上に於ける発達障害者同士に於いても、当事者たちは、自分の考えに合致する者には、その考えの是非善悪を顧みず無批判に賛同し、しからざる者には執拗に攻撃、誹謗中傷、或いは無視し敵対する。所謂 発達障害界隈とは、常識に欠け極端に偏向した分別のない子供の集まりであって、それ以上でもそれ以下でもない。しかも彼らの大部分は、それを自覚すら出来ない。
謂わば地球人の愚かさのエッセンスの如き存在が、発達障害 自閉症 ASDであるとも言える。当然、其処には、この儂も含まれる。いわく言い難い悲しむべきことではないか。


地球人がSNSを使うには10,000年早い】 

地球人とは程度の差こそあれ本質的には利己主義者である。本質的には、地球人誰もが自閉症スペクトラム障害であるのだ。しかし、その『程度』『バランス感覚』という点に於いて、健常者とASDには決定的な相違がある。

自閉症の有する傾向は誰にでもある。それ故にスペクトラム(連続体)と言われるのであるが、それら誰もが有する傾向が、自閉症者の場合は、極端な形で現れてしまうのである。そして、そのことが社会的存在としての在り方に一部の例外を除き、大部分はマイナスに働いてしまう点に重大な問題を有するのである。
健常者に於いては自然に働くバランス感覚がASDにあっては機能せず、全てにおいて極端である。それ故に発達障害者は社会の中にあって不要な軋轢を招来し、自分も周囲の者も苦悩の坩堝に叩き込まれてしまうのである。
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…たとえ最高学府出身の頭脳明晰なる学者、或いは高貴なる作を創出する芸術家ですら、地球人の本質…即ち 自閉症スペクトラム障害的な利己主義者 という点に於いては、例外ではない。この地球人全ての有する本質に、当人の置かれた境遇、性格 資質 気質及び社会状況が付帯する。それが結局は様々の社会問題という形で現出するのである。

かかる人間の中にあって、SNSを真に善用し得る者など極めて限られるので、弊害の方がむしろ多いことは、現状を見れば …否、現状を見る前にいとも容易く想像し、見抜ける筈ではないか…余程のバカでない限り。
SNSは、その即時性という点では優秀なツールである故、例えば『告知』等のみに用途を限定すればよろしいのではないかと愚考する (風聞では、現にそうなりつつあるらしい?)。

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以下、先に草した拙文『終末期の世界にて…地球環境問題、SNS誹謗中傷、並びにGifted…盲目者の愚行』収録の、SNS 誹謗中傷に関する章を抜粋する。

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彼らの或る者は、微塵も同情無き冷笑的言辞を弄し、或いは過剰なる悪魔的言動・扇動的言辞を弄し、定見なき民衆を惑わし籠絡する。その結果、あらゆる嫉妬 憎悪 破壊行為が生まれる。彼らの行きつく先、それは何等良きものを生み出さぬ無明の闇である。
その闇には、冷笑者、扇動者、定見なき者達の肉体的自殺者は愚か、精神面における自殺者のなんと余りに多いことであろうか。今や、地球上の大多数の人間は、この精神的自殺者であるといえよう。

そもそも冷笑或いは誹謗中傷とは、それを為した相手に対して、その心身を著しく損なうものであるが、寧ろそれ以上に、冷笑 誹謗中傷した当人の精神と心に救い難いダメージを与える。冷笑すればする程、誹謗中傷すればする程、確実に当人の人格も品性も堕ちていく。恐るべきは、それを当人は全く自覚出来ないと言う一事である。
まさに無自覚な精神的自殺といえよう。
無明の闇。自己の愚かさに気づこうともせず、その力を余りに過大評価した冷笑者、破壊的扇動者、悪魔的言辞を弄する地球人の末路は、結局はそんなものであろう。

地球人は、その自己の内なる空虚を一瞬でも誤魔化そうと、無闇矢鱈に己の思うままに やりたい放題のことをやり、更にはそれを『自由』と錯覚し、際限なく自己拡張して欲求を満たそうとする。
タガの外れた現在の地球人の『なれの果』の姿… 匿名 非匿名を問わず、社会常識に欠け善悪の区別 判断が出来ず 、手前勝手な "自由" の名のもと勝手気儘に自己主張を繰り返す精神的自殺者達… それが極めて分かりやすく端的に現れているのが、インスタやらツイッターやらの、冷笑、扇動、誹謗中傷、嫉妬そして虚栄と自己承認欲求の塊たるSNS、そして匿名掲示板であろう。

何度でも同じ過ちを繰り返し、いつになっても いつまで経っても進歩せぬ地球人。救いようの無い、なんとも馬鹿げた話だ。
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Jun. 4  2024
by HermitG-zan

2nd edition : Jun.17  2024

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