鳥取の旅②
伯耆富士大山に到着しました。
大山はこの地域の山岳信仰を集めた場所で、奈良時代初期に編纂された『出雲国風土記』にも記述が出てきます。
八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)という神様が、現在の島根半島を引っ張ってきたという「国引き神話」において、この大山を杭代わりにして綱を巻き付けたそうです。
さすがに山登りをするのは大変なので、少し上ったところにある社殿にお参りをしました。
大山は、山陰地方であまり歴史的にも目立たないのですが、中世には畿内の寺院に劣らない大勢力に成長します。
天台宗の大山寺は、興福寺や延暦寺のように多数の僧兵を抱えており、後醍醐天皇が鎌倉幕府を滅ぼした際、隠岐から脱出したときに援軍を送っています。
戦国時代・江戸時代も、周辺の大名から保護を受け栄えますが、明治時代の神仏分離令政策によって衰退してしまいました。
さて、大山をあとにして、いよいよ“本命の場所”に向かったのですが……
到着したらもう時間が過ぎて閉まってました( ^ω^)……。
明日朝一で来ることにして、余った時間で他の場所を回ることにしました。
白壁土蔵の街、倉吉市。
そこにある大岳院というお寺ですが、ここには江戸時代の有名な小説のモデルになった人物たちが眠っています。
房総半島を拠点に、小田原の後北条氏と戦い続けた里見氏。江戸時代になり、里見忠義が大久保長安事件に巻き込まれて改易(領地を取り上げられる)されてしまい、鳥取に配流されました。
忠義が亡くなったとき、8人の家臣が殉死をしました。彼らはここ大岳院に葬られ、その忠勇から「八賢士」と称えられました。
そう、かれらこそが、かの有名な滝沢馬琴の小説『南総里見八犬伝』の「八犬士」のモデルになった人物です。『南総里見八犬伝』は、この「八犬士」が里見家再興のために活躍するという物語ですね。
宿泊する鳥取市に向かう途中、白兎(はくと)神社というのを見つけました。
これも皆さんご存知、「因幡の白うさぎ」の舞台となった場所です(諸説あり)。
私が幼稚園のとき、学芸会でやりましたね(私はワニの役でした)。
隠岐島に住んでいた白ウサギは、イナバ(因幡?稲羽?)に渡ろうとしました。ウサギはワニ(和邇、サメのこと)をだましてその背中を使って渡りましたが、だまされたことに気付いたワニたちは怒ってウサギを襲い、皮をはいでしまいました。ウサギが痛みに泣いていると大国主命が現れ、傷を治してあげた、というお話ですね。
鳥取駅に到着しました。
夕食は鳥取名物牛骨ラーメン!
明日は朝一で本命の場所に向かいます。
高瀬 邦彦(たかせ くにひこ・地歴公民科)