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歴史の壁は、超えられるのか。

 過去と未来をつなぐ歴史的な「つながり」も、時に現代社会を横断する厄介な代物を生み出しうる。
 日々、領土問題や歴史的背景から対立論争が絶えない国際社会。日本人にとっても、韓国や中国との論争は無視できない。韓国慰安婦、徴用工の問題については、日本側が解決したと主張している場合においても論争は収まっておらず、市民団体が政治的主張を続けている場合が多い。
 ここには、両者の持つ歴史観における大きな違いがあるように思える。既に請求に応じたとする日本側と、未だ請求権を主張する韓国市民側。そしてそこに法的判断を裏付けた韓国大法院。

 歴史という「つながり」の中で人々が築いてきた関係は、その土地の文化や価値観を作り上げ、その後も大きな影響をもたらし続ける。一見、人々の価値観や創作の源泉として必要不可欠であるように思えるこの歴史という「つながり」なのだが、時にこうして、他者との歴史認識の乖離を示し、対立のきっかけになってしまうのだ。
 当然、このように現在に悪影響を及ぼしうる歴史的「つながり」は望ましい姿ではない。歴史というのは本来、過去から得た教訓として両者が認識し、よりよい未来を作るきっかけにするべきものだ。

 では、歴史的認識の国家間の乖離を解消する方法はあるのだろうか。
 一つの有効な策として、異国間の「歴史共同研究」が挙げられる。その好例がドイツ、ポーランドの二国共同研究だ。ドイツとポーランドの教科書委員会は1972年に発足し、1976年に最初の教科書勧告を共同で発表した。歴史の研究の成果と、両国の認識の統一のために、教科書においてその成果を示したのである。担当者は政治的な視点から離れ、歴史に対して客観的で対等な議論を続けた。最終的に共通の歴史教科書が完成したのは2016年だった。
 共同で歴史の研究を行えば、お互いの意見を尊重しつつ史実を分析することができるので、これは非常に平和的な論争解決の手段であると言えるだろう。ちなみに、日韓、日中でも歴史研究は行われたのだが、継続的かつ政治的主張から離れた対話は実現されず、ドイツ・ポーランドによる研究ほどの成果を上げることはできなかった。

 これから未来を他国と協力的に築いていくためにも、過去との「つながり」をどのような態度で眺めていくか、欧州の例も踏まえながら考える必要性がありそうだ。

〈参考文献〉

シンポジウム「歴史和解のために」
第2部 ジモーネ・レシッヒ氏の基調報告 「独仏教科書 半世紀かけ」(2)
朝日新聞

近藤孝弘「歴史対話の内と外ーードイツの経験から」東京大学学術機関リポジトリ

へいすてぃ(論説委員・高校1年)

Photo by Connor Misset on Unsplash

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