東北縦断の旅 ⑤酒田
鶴岡から電車で30分、最上川河口の町、酒田市にやってきました。
酒田市というと、有名な写真家土門拳さんの出身地としても有名ですが、今回酒田にやってきた理由は、この海向寺にあります。
この蔵の中に、「即身仏」が安置されています。
即身仏とは?(wikipediaより)
日本の一部地方に見られる民間信仰において、僧は死なず、生死の境を超え弥勒菩薩出世の時まで、衆生救済を目的として永遠の瞑想に入る(入定:にゅうじょう)と考えられている。僧が入定した後、その肉体は現身のまま即ち仏になるため、即身仏と呼ばれる。原義としての「入定」(単に瞑想に入ること)と区別するため、生入定(いきにゅうじょう)という俗称もある。日本においては山形県の庄内地方などに分布し、現在も寺で公開されているところもある。
江戸時代には、疫病や飢饉に苦しむ衆生を救うべく、多くの高僧が土中に埋められて入定したが、明治期には法律で禁止された。また入定後に肉体が完全に即身仏としてミイラ化するには長い年月を要したため、掘り出されずに埋まったままの即身仏も多数存在するとされる。
木の皮や木の実を食べることによって命をつなぎ、経典を読んだり瞑想をする。まず最も腐敗の原因となる脂肪が燃焼され、次に筋肉が糖として消費され、皮下脂肪が落ちていき水分も少なくなる。生きている間にミイラの状態に体を近づける。生きたまま箱に入りそれを土中に埋めさせ読経をしながら入定した例もあった。この場合、節をぬいた竹で箱と地上を繋ぎ、空気の確保と最低限の通信(行者は読経をしながら鈴を鳴らす。鈴が鳴らなくなった時が入定のときである)を行えるようにした。行者は土中に入る前に、漆の防腐作用に期待しまたは嘔吐することによって体の水分を少なくする目的で、漆の茶を飲むこともあった。
まあ、簡単に言うと、僧侶が民衆を救うために、土中で餓死してミイラ化したものです(今は法律で禁止されています)。
この海向寺には、江戸時代に即身仏となった忠海上人と円明海上人が安置されており、拝観することができます。
(歴史を語る即身佛 Sokushinbutsu - 即身佛 砂高山海向寺)
厨子内に鎮座する二人の僧侶。防腐処理などはしていないそうですが、生前の姿を保ったまま座っています。まさに奇跡。
黒光りした二人の姿からは、不思議な美しさを感じてしまいます。
日本の即身仏は、江戸時代の東北地方が大半だそうです。江戸時代の東北地方は度重なる飢饉によって多くの人々が苦しんでおり、民衆を救済するために僧侶が苦行によって即身仏に至るケースが多い。彼らの心情に思いをはせると、涙が出てきます。
さて、隣の公園に寄ってみると、ここにも松尾芭蕉が。
「暑き日を海にいれたり最上川」
『奥の細道』の旅で酒田を訪れた際に読んだ歌です。
また、河村瑞賢像と北前船もありました。
河村瑞賢は、江戸時代初期の水上交通を開拓した人物として有名です。
酒田港は江戸商人正木半左衛門や瑞賢らによって西廻り海運の起点となり、「西の堺・東の酒田」と称されるほど栄えました。
日本一の地主と言われる本間家などの豪商によって自治が行われ、まさに商人の町でした。
東北の産物が最上川を使って酒田港まで運ばれ、ここから西廻り海運で新潟⇒山陰地方⇒下関⇒瀬戸内海⇒大坂へと運ばれました。さらに、いわゆる南海路によって大坂から江戸までも運ばれました。
さて、ここからはレンタカーで秋田方面に向かいます。
↓今ここ↓
高瀬 邦彦(たかせ くにひこ・地歴公民科)
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