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いつまで照れてんだ。 Creatorと名乗る気恥ずかしさを越えて。


シャツはYAECAと決めている。

と書くと、なんだかこだわりが強そうだが、定食屋で毎回生姜焼き定食を頼むように、ものを購入する際に選択肢がありすぎると迷うし、いいなと思ったものは割とリピートするため、同じものを買ったり食べたりしている。


先日、YAECAのシャツを新調した。
結構いいお値段をするため、その場で一発では買うことはせず、「ちょっと一旦冷静になってみます」と言って店を去り、すこしブラブラして考えた結果、やはり買おうと思って店に戻って買った。いいものはいいし、長く使うことになるので、結果的に高くてもいいものを買った方がいいのは経験的には分かっている。店員さんも「きっと長い付き合いになると思います」と言ってくれた。




大きな節目になると、躊躇するけど一歩踏み出して何かを購入することがある。

2017年、フリーランスになる際に購入したFREITAGの黄色いバッグ。

FREITAGは、スイスのチューリッヒにあるメッセンジャーバッグのブランドである。トラックの幌を再利用して作られており、1つ1つ手作りされているため、この世に1つも同じ製品はない。(wikiより)


表参道のPASS THE BATONで一目惚れし、しかしそれなりのお値段だったため躊躇。3回見に行って迷って最終的に4回目で購入した。


当時、フリーランスになる直前で、「俺はこのままでいいのか。いや自分で道を切り拓いた方がいいんじゃないか」と迷ってる段階であり、背中には黒いスタンダードなリュックを背負っていた。こんなリュック背負ってる場合じゃねぇ、自分は自分、クリエイティブに生きていくんだろ。と自分に言い聞かせて、ヨシッと購入した。

結果的にはフリーランス&起業後も使い続けており、この春で7年目となる。当時を知る友人からは「まだ使ってるの?」と驚かれるが、壊れては修理に出しまた使ってということを繰り返している。背負う度にスイッチが入るというか、あの頃の「俺は俺だ」という気持ちを思い出させてくれている、お守りのような灯台のような存在である。

さて、今回のYAECAはどうだろう。

さすがに4回も躊躇はしていないものの、普通に買うシャツの数倍の値段(YAECAの中でも特別なラインとのこと)だったこともあり迷ったが、黄色いリュックと同じような意味合いで購入した。

と言うのも、これまで15年プロデューサーとして仕事をしてきたが、最近はクリエイターとしての感覚が非常に強くなってきていた。後述するように自分自身をクリエイターと呼ぶのも名乗るのも長年遠慮というか気恥ずかしさをずっと持ってきたが、なんだかもう、いつまで照れてんだ と思ってきた。そんな自分の背中を押すというか蹴り出して一歩踏み出すために買った。


以前いた広告業界で「クリエイター」と呼ぶ人たちは、クリエイティブディレクター、デザイナー、コピーライター、映像クリエイター、監督、作家、アーティストなどを表す言葉であった(いま自分が思うクリエイターの定義とは違うけど、それはまた別の時に)。

ある表現、もの、作品を生み出す、創作・制作する人たち。広告業界にいた頃、自分はそうしたクリエイターに依頼するプロデューサー(兼営業)という立場であったため、クライアントの解決すべき課題を整理したり、予算やスケジュール管理をしたりしつつ、クリエイターにアウトプットを作ってもらう役割だった。

実際に「クリエイティブジャンプ」という言葉もあるように、突き抜けたアイディアやアウトプットをクリエイターに出してもらうために跳び箱のジャンプ台を設置するような役割とでも言おうか。この方向で思い切ってジャンプしてください!と、いいジャンプ台を用意しその方向を調整する役割。また、ジャンプ練習にも遅くまで付き合ったり、これまでいいジャンプをしてきた人の事例などを集めたりもした。

その頃、多くの優れたクリエイターたちを目にすることができた。幼子が母を覚えるがごとく、今でも自分の中で「クリエイター」というと、当時目にしたクリエイターたちの姿が思い浮かぶ。優れたプロデューサーもまた同様。

跳び箱とジャンプ台(ロイター板)。画像はM’s PLUS HPよりお借りしました


ついては、そういう認識が良くも悪くも自分にしっかりインストールされてきたため、自分はクリエイターではなく、彼ら彼女らを支える(どちらかと言うと裏方の)プロデューサーである。という認識や、また矜持も持ってきた。それは今もないわけではない、というか、ある。

ただ、遠野に移住し、業界からも離れ、様々な未知の世界に触れたことにより、自分の中の創作意欲が顔を出しはじめ、次第にそれは大きくなっていった。

そのプロセスと今取り組んでいることは、つい先日こちらのチャンネルで詳細にお話しさせていただいたので省くが、プロデューサーからクリエイターへと軸足が大きく移行してきている。特にいま力を入れている自主プロジェクトの作品づくり、本の制作・執筆などは、自ら生み出す、ものをつくるクリエイター脳として取り組んでいる。

『遠野物語』の解説本を製作中。6月に自費出版予定
『遠野物語』に登場する伝説の猟師の物語。絵と文章による作品づくりと本づくり
(富川岳・作、五十嵐大介・絵。心強い編集チームと共に制作し始めている)


すこし正確にニュアンスを書くと、自分の中にプロデューサー人格もあるし、クリエイター人格もある。それは取り組むものごとによってその時々で切り替わる。

最近整理できたのは、(株)富川屋という法人で動く場合はプロデューサー人格として、個人活動の場合はクリエイター人格という分け方がしっくりきている。いわば バンド活動とソロ活動 のようなイメージである。

※この辺りを考える際、Dragon Ash⇄kj、Ovall⇄mabanua、toe⇄各メンバー、アジカン⇄Gotchなど、バンド活動とソロ活動を両立するアーティスト/クリエイターの動き方が大いに参考になった。toeに関するこの記事はとても面白かった。


思えば、これまで取り組んできた自主事業もまた一部クライアントワークも、その時々の感覚をもとにリリースしてきたアルバムのような感覚がある。事業というよりもアルバム。10代から追い続けてきたDragon Ashもこの25年間でロック、ミクスチャー、ヒップホップ、ラテン、ロック(最近は歌い上げる系が多くもはや演歌だなと思っている)とその音楽テイストは変化し続けてきた。

それと近い感覚で、その都度、『遠野物語』、馬、藁細工、お盆、しし踊り、河童、伝説の猟師と興味あるものにインスピレーションを受けたプロジェクトやプロダクト、企画をリリースしてきた。大きく地域文化という括りはあれど、興味の対象が変化するにつれ、自分が表現したいものも変化する。

依頼してもらったクライアントワークについても、ただ受注者として注文通り作るわけではなく、CMタイアップ曲を創るように、その商品をテーマにした楽曲をあくまで自分のフィルターを通してアウトプットする、世の中に投げかけるような感覚でしている。

もちろん課題解決のためにやるのだが、自分に近づけて取り組む方が、体重が乗るし、結果的にいいアウトプットになる。最近は企業や組織の事業内容を表すタグラインやステートメント、キャッチコピーの依頼をいただくことが増えているが、それもラッパーが歌詞を書くような感覚に近いのかもしれない。



YAECAの話がだいぶ前の話になってしまった。

そういうわけで、「もうクリエイターとして名乗ってもいいじゃん。いつまで照れてんだよ」と、自分を前に出す意味で、エイヤッとシャツを購入した。

「自分はプロデューサーなんで」と自分を守らず、必要以上の謙遜もせず、大海原へと船を出せ。

※どうでもいいが、福山雅治は「かっこいいですね」と言われたら「ありがとうございます」と素直に応えるようにしているそうだ。否定したり謙遜したりすると相手の価値観を否定することになるからとのこと。スター。



このYAECAのシャツもきっと長い付き合いになり、黄色いリュックよろしく、着るたびにこの節目のことを思い出すに違いない。

新たな道へと踏み出す姿勢や今の気持ちを表現すべくプロフィール写真も刷新した。
Photo by Kentaro Yoshida.



プロフィールのテキストも変えた。
Creator / Producer / Dancer at TōNO, Iwate.


ちなみに、これも遠慮しかけたが、「ダンサー」もいれた。しし踊りは今年で6年目。踊れば踊るほど未熟さが分かるし、全然全然まだまだなのは自分が一番理解している。

が、昨年、コムアイさんと一緒に踊ったことで意識面でも変化があった。あまり気合を入れて背負い込むとよくないが、楽しみながらもっと上手くなりたい。

遠野巡灯篭木2022にて.  Photo by Ryo Mitamura



書き出したら長くなった。

春の陽気に背中を押されたこともあるかもしれない。

クリエイターとしても、プロデューサーとしても、またダンサーとしても、そろそろもう照れずにやっていこうと思う。

遠野の桜はこれから

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