村松仁淀『ホール・ニュー・ワールド』について
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わたしには以前からわからないことがある。それはどこか遠い国で起こっているできごとへあたかも自分の身近なところでおこっているかのようにお節介する意識はどうした根拠にもとづいてそのひとのうちに落ち着いていられるのだろうか、ということだ。たとえをだすほどでもないが、思想のひとつの切れ目のように働いているものをいえばドイツで引き起こされた意図的な絶滅が《アウシュビッツ》としてわたしたちの住む日本で一級の課題となっているように。しかし、こうしたことを身構えてかんがえてみるとある思想的な歪みの延長を知らされる。
フランシス・フクヤマが『歴史の終焉』をアメリカで完成させる2年前の1990年に柄谷が課題としたことは、そのまま全世界的な課題であったことはいうまでもない。第二次世界大戦終戦ののちのひとびとが生活として失った特徴ある全世界的な情況は、その規模をたもったまま内容を具体的に各地へ山積させずに散ったのであり、大衆へ用意されていたところは労働と自宅であった。わたしたちの現在から柄谷のことばを読み直せば、それはオウム返しだよ、と言い返すことはその後の柄谷の著作の手助けもあってたやすいことである。しかし、〝思想家〟として思想家を突く行為は虚空が虚空を突いていることとかわらないところまでつき詰められたかんがえを提出させねばならなかった《ポストモダン》とはいみじくも情況的であったのである。数々の偉いかんがえをもったひとびとの名前を揚げる必要もなく、もはやそこまで進んでしまえば、作者自体が空位として中身をもつことのない世界で意志を持続させていなくてはならない。それは必然的に情況によって作者とその作品や思想を虚空へ決定づけられていると知りながら続けなくてはならないのである。だから柄谷行人は「世界史」という極めて虚空な規模へ身を曝しにいって、そしてなによりも日本という枠付けによって発生する大衆の支持を払いのける必要があったわけである。それが柄谷の批評の方法であった。つまり、《ポストモダン》にあっては、〝思想家〟は全世界的な単位へ位相をもってゆかない限り、先端は獲得されない。
詩人の場合は少しずれを生じさせている。つまり戦後詩を引き受けて書かねばならない世代と戦後詩からただの現代詩を書いてゆく世代が同時代的に存在していたために、全世界を個的なこととして背負わねばならない詩人と全世界を全世界のまま担う詩人があらわれていた。その時代的なもんだいの中間項に位置しそうな詩を引いてみれば次のようなものかもしれない。
わたしたちはこの詩へなにも感じることはないし、また作者自体もとくべつな意味合いを付け加える必要をもっていないように見える。ただ朝起きて、西武線の電車の音がポンポン船のなつかしさへ重なったという、そのことだけを書いている。一九七七年に発表されたこの詩であるが、このような類の詩は自然描写を欠き、目の前にしている電車や少し過去のポンポン船というように自分の住んでいる場所からおもての様子が見渡せる窓ほどに実生活的であるのだ。「練馬の石神井」である必要はどこにあるのかと尋ねても、確定した解答はただ作者が住んでいるから以外にはなく、またそれこそが戦後詩を過ぎ去った現代詩の書かれねばならない全世界的な情況であったのである。その言い方を変更すれば、作者たちは虚空をつちかってきた表現であらわし、そこで表出される作者それぞれの特徴は日本であれば日本へ、どこかちがう国ならばその国で、ひろく一般的なものにならざるを得ない。
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現在、詩はそのまま同時代の文化物——または科学技術といってもよい——を表現へ組み入れるか、その文化物はそのまま詩的なものになるのか、そうした課題へ直面しているように思え、だんだんとその詩的な表現の歴史と作者たちの生活意識とが咀嚼されて非常に高度なところでおさまるようにもなってきている。
村松仁淀「オリジナルパイレートオリジナル」
一方で比較のために引いてみれば次のところだろうか。
「ⅰTunes」と「サルトル」や「ヘーゲル」とが違和感をもたずにおなじ表現の水準に落ち着いているのはなぜであろうか。たんじゅんに時代を測量すれば、二〇〇〇年以降の現在と一九六〇年代、そして十九世紀初頭を推移している。しかし各表現がそれぞれの単語の発生と付随した時間を保っているはずのないことは当然であり、ヘーゲルはサルトルに読まれ、サルトルはわたしたちに読まれる。そうしてヘーゲルが古典とされる感覚とサルトルがそうではないという感覚を含みこんでも、「ⅰTunes」は現在にしか具体的な表現としてはありえず、ほかの単語とともに並んでいるのである。このことは大まじめにかんがえられてしかるべきである。
村松の特徴といえる行数と各連を型づける形式はひとつの定型詩の方法ということが可能である。この定型が作者へあたえている影響は、村松の同士による解説にもあるように「自らの詩作品を構成するなかで連ごとの矩形ブロックをひとつの制約として課しているようにみえる」(藤本哲明「矩形の軽トラが海を渡っていく」)だけである。定型のもんだいは作者と形式との応答を作者の限度内の自由へあずけられているということである。そこで読者は定型を追従して読むことをする。詩が直接的に読者を規制するという意図をもつならば、定型詩がもっとも方法的にははやい。だが自由へあずけられているという意味は、作者をかならず縛るとどうじにことばの表出は定型を超えることであるのだ。だから、興味深いことに村松の定型の効果は意図しているかどうかにかかわらず、時間や場所といった特定をまぬがれるために作用している。「ミニストップでコーラを買い/ひとりわびしく飲みながらも/かれはあまねく存在している」(「ラブストーリーは突然に」)というように無意味なのである。「ジス・チャーミングマン」の引用部などもそうだが、わたしたちは一生懸命に意味を見出そうとして読み込もうとするのであるが、しかしその詩には意味など含み込まれていない、無意味なのである。コンビニで飲み物を買って、壁に寄りかかって口にする。外来の高級店舗が入れ替わる街並みが作者の人生の遍歴にとって個別的な意味があって、銀座の軒並みが対岸の記憶を呼び起こそうとも、そこにおんなとの色恋が馴染まれようが、わたしたちの全世界的な生活のなかに無意味にならされる以外にはない。「阿闍梨よ、おれは油断していた/騒動の起源は故郷にあったのだ」(「メエルシュートレームに呑まれて」)、そして「大都会で大きな希望もなく生きていたわたしが、生まれ故郷に戻り小さな希望を拾い集めた。」と「付記」へ記している。この詩集『ホール・ニュー・ワールド』から読者が実際の生活をたどれるのはそれまでなのだ。
つまるところ定型のもんだいは、定型をつくることのできること自体が自由に任されていると同時により大枠の詩を書くという水準でさえ自由に任されているのだ。それは人間が人間という存在としての必然としてなんらかの条件を詩に対して持つことがないことと対応している。定型詩を選ぶのか、自由詩を選ぶのか、もしくは詩を書くのかどうか、その一切がひとりの作者へゆだねられることは驚くにあたらない。だから村松の表現法からその水準までもんだいにしたときに、表現も内容も無意味というほかないことは《ポストモダン》以降の歪みの延長にある。これは現在の現代詩が当然にそうならざるを得ないということである。
そこで喩はどうなるのかをいえば、喩が全世界を喩としようとすれば、それは喩ではないことを意味する。これは決定的なことだ。虚空が虚空を突くというようにある観念的な水準が近代の終わりをもってはじまったとき、そして自己が自身の表出を全世界的なものへ推移させたとき、もうすでに喩は喩であることを自認することができなくなったのである。村松は綴っている。
ここにある実感の無さこそ、無意味であることのなによりの証拠である。「戦争」も「市民」も、また「おれたちは市民ですらないのだから」ということを作者の思想へ転化できない限度へとどめることも、「赤や黄色のヒラヒラ」も、理由を選択する必要のない全世界的な情況に反映をうけている。おれたちは市民ではない、ということもできたはずである。ただそうはならないのが現在の詩なのだ。
最後にこの詩集から特定できるさいだいの村松仁淀という人物を指摘してみよう。わたしたちはいままで書いてきたこととおなじ結論を得ることはまちがいない。
この詩のなかで父親はインドのコルカタに生まれたと記していることをほんとうだとすれば、村松当人がそのまま世界的な単位に位置していることを知らせている。「ノースウエスト」とは北米のことか、村松という人物は高知県でもなく大都会(東京)でもなく、方々へ、あたかも東インド会社の貿易のように故郷という幻想を散らせている。それは故郷がないことと同義となって、自己意識はあてのない根拠をつかまえるのだ。そして村松の「反芻する時間」とは、わたしたち各々が属している世界的な単位で日々くりかえされている無意味で実体的でないような「反芻」を伝えているのである。
このながく地続きであるようでいて、ほんとうは壁であるような世界をどう書き続けてゆくのか。村松仁淀を筆頭に現在の詩は進んでゆくにちがいない。
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