田中 優子「働くこと、開かれていること」
仕事? 趣味?
芭蕉俳諧は江戸時代を席巻したが、俳諧師は「働いて」いたのだろうか? 芭蕉は旅をした。その際、ほとんど金銭を持っていなかった。もちろん宿に泊まるときは現金で支払うわけで、船や馬をごくたまに使うとしても金銭が必要だから、いくらかは持っていただろう。しかし都市に入ってしまえば、弟子たちが待っている。芭蕉は弟子たちが開いた俳諧の座に宗匠として入り、歌仙を巻き、それらは上質の文学として今日まで残った。その間、芭蕉は俳諧連衆の中の誰かの家に泊まる。俳諧をする弟子たちは商人で、裕福な商人も多かった。旅を支えるのはそういう人たちだった。一茶も俳諧連衆の間を回って宗匠として指導していた。しかし著名だからといって多くを稼ぐわけではなく、芭蕉は旅の途上で亡くなり、一茶は江戸で生活できなくなって信州に戻っている。今日まで残っている名前の主は、忙しく働いたに違いないと思ってしまうが、どうやら働くことの意味が違う。働くとは、お金を稼ぐことではなかったのである。
―『學鐙』2023年冬号 特集「はたらくを繙く」より―
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