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林 望「永劫の謎に直面する日々」

林 望(はやし・のぞむ)——作家・国文学者
1949年生。慶應義塾大学大学院博士課程満期退学。『ケンブリッジ大学所蔵和漢古書総合目録』で国際交流奨励賞、『謹訳源氏物語』で毎日出版文化賞特別賞受賞。『謹訳平家物語』『謹訳徒然草』『源氏物語の楽しみかた』等著書多数。

 ここに、一連の列車がある。その列車を動かしているものは一台の機関車であるが、その機関車は列車の最後尾に、しかも後ろ向きに連結されている。機関士は、したがって、列車が動いていくにつれて後方に流れ去っていく景色はいやになるほど見ることができるが、前方すなわち進行方向に広がっている景色は、決して見ることができぬ。遠い既往きおう横手よこてに広がる現状を凝視することで、おぼろげにこの列車の行く手を想像することしかできない……そういう列車を想像してみると、私どもの「生きてゆく姿」が説明できるかもしれぬ。
 いま、まもなく私は七十五歳になるところである。とりあえずは大きな病もせず、元気に暮している。けれども、この状態がいつまで続くか、それはまったくの「謎」であるというほかはない。
 いや、たしかにそれは「謎」ではあるが、しかし、だからといって、まったく考えずにいてよいというものでもあるまい。だから人は、しばしば人間ドックに入ったり、健康診断を受けたりして、はたして自分が健康に生きていけるのかどうかを、自分なりに判断しているのであろうと思うけれど、それはたとえて言えば、上述の後ろ向き列車の機関士が、どうやっても見ることのできない、進行方向の景色を、手探りで知ろうとしている、という程度のことに過ぎまい。

―『學鐙』2024年春号 特集「いまそこにある問いと謎」より―

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『學鐙』2024年春号
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特集
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