林 望「永劫の謎に直面する日々」
ここに、一連の列車がある。その列車を動かしているものは一台の機関車であるが、その機関車は列車の最後尾に、しかも後ろ向きに連結されている。機関士は、したがって、列車が動いていくにつれて後方に流れ去っていく景色は嫌になるほど見ることができるが、前方すなわち進行方向に広がっている景色は、決して見ることができぬ。遠い既往や横手に広がる現状を凝視することで、おぼろげにこの列車の行く手を想像することしかできない……そういう列車を想像してみると、私どもの「生きてゆく姿」が説明できるかもしれぬ。
いま、まもなく私は七十五歳になるところである。とりあえずは大きな病もせず、元気に暮している。けれども、この状態がいつまで続くか、それはまったくの「謎」であるというほかはない。
いや、たしかにそれは「謎」ではあるが、しかし、だからといって、まったく考えずにいてよいというものでもあるまい。だから人は、しばしば人間ドックに入ったり、健康診断を受けたりして、はたして自分が健康に生きていけるのかどうかを、自分なりに判断しているのであろうと思うけれど、それはたとえて言えば、上述の後ろ向き列車の機関士が、どうやっても見ることのできない、進行方向の景色を、手探りで知ろうとしている、という程度のことに過ぎまい。
―『學鐙』2024年春号 特集「いまそこにある問いと謎」より―
電子版のご購入はこちらから
ここから先は
3,074字
¥ 100
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?