湯澤 規子「ウンコを自分事として引き受け直す——生まれてつながり、育つ問い」
生まれる問い——ノートと一人研究会
自分の中に「問い」が生まれると、私はノートを一冊用意して、表紙にその問いを書き付ける。それが「一人研究会」開始の合図となる。私にとって「今そこにある問い」なのだということが重要なので、何かの役に立つという積極的な意味付けも無いままに、心の中で何かが動き、「好奇心」が芽生えたことをまず自覚する。そして、自分の中に生まれたことにはきっと何かの意味があるはずだということだけを信じて、その「問い」を育て始めるのである。
わざわざ「研究会」と名付けることも重要で、さぁ新しい研究が始まった、と自分に声をかけると、俄然、やる気がわいてくる。そんなふうにして、最近では常時、五冊くらいのノートと「一人研究会」が稼働している。学部生時代から、もうかれこれ三〇年以上続く趣味のような、遊びのような習慣である。
二〇二〇年に上梓した『ウンコはどこから来て、どこへ行くのか』(ちくま新書)の元になったのは、表紙に「ウンコ」と書かれたノートである。出版後の記録も含めて、今、手元には五冊のノートがある。その前に、「尾西織物業」というノートがあり、ウンコのノートはそこから派生して生まれた。愛知県の産業史研究の一環として織物工場の経営史料を調査していたところ、史料群の中に工場労働者たちの「食べること」と「出すこと」、両方に関する史料が含まれていたからである。「食べること」に関しては、工場炊事や食堂に関する史料を眺めながら「人びとは何を食べてきたのか」という問いが生まれ、胃袋研究会や工場食研究会、一膳飯屋研究会、漬物研究会を開始した。
―『學鐙』2024年春号 特集「いまそこにある問いと謎」より―
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